人物
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盧溝橋事件で北京を守った清水安三
3月に財団法人霞山会と財団法人国際平和協会が共催で、北京の朝陽門外の聖人といわれ、戦後、桜美林学園を創設した清水安三の日中友好に尽くした偉業を振り返るシンポジ…続きを読む
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ファン・ボイチャウの日本に学べ運動
11月5日、早稲田大学の大隈講堂でシンポジウム「日本・ベトナム新時代」が開かれ、100年前に日本に亡命して、日本に学ぼうとベトナムから多くの留学生を送り込んだ…続きを読む
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人物往来 スバス・チャンドラ・ボース
1897年、カルカッタ(現コルカタ)郊外の裕福な家庭に生まれる。ガンジー、ネルーのインド国民会議派と袂を分かって急進的な独立運動を展開、第二次大戦ではインド国…続きを読む
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人物往来 上海に文芸サロンをつくった内山完造
内山完造(1885-1959)戦前、上海の租界に内山書店を開いて、大繁盛し、魯迅など中国の知識人との交流を深めただけでなく、日本の言論人と中国人を結びつけた歴史…続きを読む
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人物往来 ラビンドラナート・タゴール
ラビンドラナート・タゴール(1861年-1941年) ベンガルが生んだ詩人であり思想家である。岡倉天心を通じて日本とのつながりが生まれ、イギリス統治下でアジア…続きを読む
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組合幹部専用食堂のドアを蹴破った樋口廣さん
アサヒビールの樋口さんがなくなった。経済部にいながら一度も取材したことはないが、1990年代にビール業界を担当したとき、いつも話題になった人物である。樋口さん…続きを読む
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人物往来 建国の父 ホセ・リサール
ホセ・リサール(1861年-1896年) スペイン植民地下のフィリピンで、文学を通してフィリピンをフィリピンたらしめようと立ち上がった英雄。いまも建国の父とさ…続きを読む
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八田與一を偲ぶ烏山頭ダムでの5月8日
5月初め、夫婦で台南市を訪れ、八田與一の墓前祭に参加した。14年前、萬晩報に八田與一のことを書いたときから、この地を訪ねたいと思っていた。高知から関西空港、台…続きを読む
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台湾で最も愛される日本人-八田與一
萬晩報のサイトにMovableTypeというブログを昨年11月に組み入れてから、編集がたやすくなった。個々のページへのアクセスも逐一分かる。不思議なことにアク…続きを読む
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スティーブ・ジョブスが残した言葉
9月5日、アップルのスティーブ・ジョブスが亡くなった。筆者はウインドウズのユーザーであるが、ジョブスの生き様について、2005年の有名なスタン フォード大学…続きを読む
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青年海外協力隊をつくった海部さん
昨夜5日、ホテルオークラで「海部俊樹君の叙勲を祝う会」が開かれ、勘三郎が舞い、中曽根康弘元首相も駆けつけるなど大盛会だった。筆者が理事をしている世界連邦運動協…続きを読む
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幕末・明治人の医師関寛斎の物語
友愛公共フォーラムの第2回会合で、面白い話を聞いた。報告者の一人、参院議員の梅村聡氏の五代前の祖先、関寛斎(文政13年2月18日(1830年3月12日) &#…続きを読む
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人物往来 中国革命で最初に命を落とした日本人
山田良政(やまだ・よしまさ=1868-1900)津軽生まれで、孫文の革命を早い時期から支援し、1900年、広州市郊外で起きた恵州起義で命を落とした最初の外国人…続きを読む
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全国に広がるセカンドハンドの新田イズム
友人を通じて知った。なんともさわやかな印 象だった。1998年4月27日、萬晩報に新田さんのことを書いた書き出しはこんな風だ。 「だいだい色の屋根とクリーム色…続きを読む
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think kagawa (7)-kagawa Revisited 2010年4月10日
2004年6月、スコットランドのグラスゴーを訪ねました。その2カ月前、「賀川、賀川」と言っている牧師さんがいるということを友人から聞きました。賀川が世界的に知…続きを読む
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神戸、熊野水軍、そして白洲次郎
余談である。コープこうべ顧問の西義人さんの案内で神戸市内をドライブしていたとき、西さんがぽつりと言った。「三田の九鬼一族が明治の初期にここらの土地を買い占めた…続きを読む
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庶民に尽くした久留米藩当主 有馬頼寧
有馬頼寧(ありま よりやす=1884(明治17)-1957(昭和32)=政治家、農林大臣) 山本一生『恋と伯爵と大正デモクラシー』(日本経済出版社、2007年…続きを読む