人物
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講談師として政治を語った伊藤痴遊
高知新聞の図書欄に伊藤痴遊「明治裏面史」という本が紹介されていて、興味をもって取り寄せた。調べると、伊藤痴遊は講談師、政治家となっていた。明治14年に15歳で自…続きを読む
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人物往来 フィリピン初代大統領、アギナルド
エミリオ・アギナルド(1869 – 1964)フィリピンのスペイン統治時代に革命軍を組織し、米西戦争後は日本の協力を受けて反米闘争を続け、1898年…続きを読む
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人物往来 ベトナム独立の父、ホー・チ・ミン
ホー・チ・ミン(胡志明1890-1969)ホーおじさんと慕われたベトナム独立運動の指導者。主にコミンテルンの元で海外から民族解放運動を指導していたが、1941年…続きを読む
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人物往来 静の作家、周作人
周作人(1885-1967)文豪、魯迅の弟。日本に留学、日本文学に傾倒し、陳独秀らが創設した雑誌「新青年」の中核メンバーとして自ら創作する一方、日本始め海外文学…続きを読む
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人物往来 最後の韓国皇太子 李垠
李垠(1897-1970)大韓帝国最後の皇太子。称号は英親王。李王朝の高宗の第7子として生まれ、純宗の時、皇太子となるが、10歳の時に日本留学。日韓併合で李王朝…続きを読む
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人物往来 アジアの義や任侠に生きた頭山満
頭山 満(1855 – 944年)明治から昭和前期にかけて活動したアジア主義者。玄洋社の総帥。朝鮮の金玉均、中国の孫文、インドのラス・ビハリ・ボース…続きを読む
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覚醒もたらすアリアラトネ氏の幸福論
正月にスリランカのアリアラトネ氏のことを思い出した。古くからスリランカにある農村開発哲学を実践するサルボダヤ・シュラマダーナ運動を主宰し、アジアのノーベル賞と…続きを読む
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人物往来 タイ近代化の基礎をつくったモンクット国王
モンクット王(ラーマ4世、1804―1868)ミュージカル「王様と私」のタイ王のモデル。王位につくまで27年間、僧院で修行した世界的にも希有な王。王位につくと…続きを読む
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人物往来 訳のわからぬままに即位し退位した溥儀
愛新覚羅 溥儀(アイシンギョロ・プーイー、1906 – 1967年)清朝12代、最後の皇帝、満州国皇帝。清末期に2歳10カ月で即位、4年後に辛亥革命…続きを読む
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人物往来 明治・大正のグランドデザイナー後藤新平
後藤新平(1857-1929)明治、大正期にかけての政治家。台湾総督府民政長官、南満鉄初代総裁、東京市長などを歴任し、特に台湾開発や関東大震災後の東京市の帝都…続きを読む
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人物往来 日本との連携を目指し暗殺された金玉均
金 玉均(キム・オッキュン=1851-1894)李王朝末の親日政治家。開国を進めて日本と連携することを目指した武力クーデター、甲申事件を起こしたが失敗。日本に…続きを読む
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人物往来 バー・モウ 植民地からの解放は1943年
バー・モウ(1893-1977)ビルマ(ミャンマー)の独立運動の先駆的指導者。第二次大戦中の1943年8月、日本軍政下で独立を果たした時の首相となったが、日本…続きを読む
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ビルマの傑僧オッタマ、大谷光瑞、伊藤次郎左衛門
霞山会の広報誌「Think Asia」にバー・モウのことを書くもとになり、何冊かの古い本を読んでいたら、懐かしい名前に突き当たった。ビルマの傑僧オッタマである…続きを読む
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マンデラさんの死と「I am not Chinese」
昨年12月5日、南アフリカのマンデラ元大統領が亡くなった。人種差別に反対して、27年にわたり国家反逆罪の名の下に投獄されていた。1989年にマンデラさんが釈放…続きを読む
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中華革命をくぐり抜けた萱野長知の意思
8月7日の講演「萱野長知と孫文革命」のためにひもといた『萱野長知・孫文関係資料集』(高知市民図書館)の冒頭に、萱野が亡くなる直前に「月刊高知」に書いた文章があ…続きを読む