寄稿
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再び40%台に戻った所得税負担 1992年12月メモ
税制改革の約束はどこに 消費税を導入した税制改革の建前のひとつは『所得、資産、消費』のバランスある課税だった。所得税への偏重を是正するのが約束だったはずだった…続きを読む
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クリントン新政権の誕生 1992年12月Libre
アメリカ国民は、民主党の46歳のクリントン氏を第42代大統領に選びました。冷戦の終焉をもたらし、イラクのクウェート侵攻に対しては断固たる武力行使を実施して、国…続きを読む
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総合経済対策はカンフル剤? 1992年10月Libre
日本経済はかつてない危機に直面しています。景気後退に加えて国民に見えにくい水面下での資産デフレが進行、これが企業や銀行経営にボディーブローのように効きはじめて…続きを読む
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中国の改革開放路線 1992年Libre
どうやら中国にも改革開放路線が全面復活する日が近くなったようです。中国最大の実力者である鄧小平は、今年1月から2月にかけて北京から南下、改革開放の最前線の深圳…続きを読む
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中国が入札設定の鉱区、日本側に一部食い込む 1992年8月7日
東シナ海、海洋油田 関保筋は6日、中国が国際入札実施を決めた東シナ海の海洋油田鉱区が、日本が海底資源の探査・利用権の境界として主張する東中井の尖閣書と(中国名…続きを読む
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豆満江開発-極東新フロンティア 1992年7月(Libre)
環日本海経済の開発拠点として浮上している豆満江(中国名・図椚江)流域を朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)側から視察、豆満江流域開発『平壌国際会議』を取材する機会…続きを読む
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日本の世界への貢献 1992年6月Libre
「日本の世界への貢献」。言葉でいえばやさしいことですが、国際社会の構成員としての日本の責任分担が今ほど問われている時代はありません。これまで日本にとって貢献と…続きを読む
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豆満江開発一極東新フロンティア 1992年6月メモ
OASYS00ト17 1/8 更新1995年4月2日22時3分 環日本海経済の開発拠点として浮上している豆満江(中国名・図們江)流域を視察、さ…続きを読む
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「国際貢献」とPKO 1992年5月Libre
日本の国際貢献の重要な手立てとして、国連の平和維持活動(PKO)協力のあリ方が国会を中心に議論されています。PKOは、紛争地域での停戦監視や選挙監視、人道的な…続きを読む
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統一地方選挙スタート 1992年4月Libre
第12回統一地方選挙のスタートとなる13の都道府県知事選の告示も間近になりました。4年前の前回の統一地方選挙は売上税の国会審議の最中に行なわれ、自民党が道府県…続きを読む
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ブッシュ訪日と『東京宣言』 1992年3月Libre
1992年のブッシュ米大統領の訪日についてLibroに書いた。バブル崩壊直後とはいえ、日本経済は健在、「悩めるアメリカ」などという表現があり、経済的に逆転した日…続きを読む
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鉄のサッチャーさん、政権の功と罪 1992年2月Libre
最大の功績は英国病の追放 1979年以来11年にわたり英国の首相の座にあったサッチャー女史が辞任しました。レーガン前大統領や中曽根元首相とも親しく、80年代の…続きを読む
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日本海に輝く”交流の虹″ 1992年2月Libro
極東に新たな経済圏構想 今年4月のゴルバチョフ・ソ連大統領の訪日を控えて、シベリア、サハリン、沿海州のソ連と中国の東北地方、南北朝鮮、それに日海側の日本を含む…続きを読む
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赤字国債発行の危機 1992年1月Libre
毎年、不景気の12月は大蔵省にとって一番頭の痛い時期です。年末までに翌年度の予算を編成する必要があり、税収見積もり、つまり収入予測が極めて難しいからです。とく…続きを読む
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育児休業法案まとまる 1991年12月Libre
女性にとって待望の育児休業法案が難産の末ですが、ようやくまとまりました。多くの大企業ではすでに育児休業制度を導入しているとはいえ、法律で一律に一定期間の休業を…続きを読む
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日中国交20年 1992年Libre
戦後外交の最大級の課題だった中国との国交回復から20年。日中間をめぐる国際環境は大きく変わり、中国自身も市場経済を導入するなど国家のあり方を大きく旋回させてき…続きを読む
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広がる麻薬汚染 1991年6月Libre
俳優の勝新太郎が麻薬密輸出の容疑で逮捕されたことをきっかけに、麻薬問題が再び社会問題として急浮上してきました。覚醒剤密売に加えて新たにコカイン乱用も広がりつつ…続きを読む
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民族大移動時代 1991年6月Libre
日本人が1000万人も外国へ出かけ、300万人の外国人が日本を訪れる時代。国際空港の整備が地方都市にもおよび、日本人が外国人に接する機会はますます多くなってき…続きを読む
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日ソ対話への一歩-ゴルバチョフ大統領来日 1991年5月Libre
ソ連のゴルバチョフ大統領の日本訪問が実現しました。ソ連の元首が日本を訪問するのは有史以来初めてのことです。海部首相との6回にもわたる首脳会談や日ソ共同声明で北…続きを読む
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労働時間短縮の新たな局面 1991年5月Libre
勤労者の賃金を交渉する今年の春闘で「時短」が大きな課題となりました。労働時間短縮を求める内外の圧力が強まるなかで、鉄鋼業界や電機業界では年間労働時間を1880…続きを読む