最大の功績は英国病の追放
 1979年以来11年にわたり英国の首相の座にあったサッチャー女史が辞任しました。レーガン前大統領や中曽根元首相とも親しく、80年代の国際政治・経済をリード、宰相として歴史に名を残す政治家のひとりといわれています。サッチャー前首相の最大の功績はイギリスから「英国病」を追放したことでしょう。また、国際的には対ソ強硬論論者として東西冷戦に毅然とした態度を保ちつつも、新しい形のソ連の指導者であるゴルバチョフ氏と早くから親密な関係を築き、ペレストロイカを進めるソ連に対して柔軟な一面をみせるなど硬軟取り合わせた外交を展開してきたことは忘れてはならないところです。
 サッチャー政権の一貫した政策は平等よりも効率を求めたことでした。それまでイギリスが伝統としてきた「ゆりかごから墓場まで」という福祉重視政策が悪平等をもたらし社会の活力をなくしていると判断したのです。福祉重視が長年にわたって財政を圧迫しただけでなく、極度の累進税制により金持ちや大企業のやる気をなくさせたことも事実でした。しかし、サッチャー首相の登場で世界が酷評した英国病もいまでは歴史の一部になってしまいました。
 サッチャー首相がまず手掛けたことは、市場経済の復活です。いまではどこの経済学者も唱え、ソ連など社会主義諸国も導入を図ろうとしているキーワードとなっていますが、当時、欧州の資本主義国家では民間部門で行き詰まりをみせていた産業は国営化が進められていたのです。彼女は国全体の経済のうち民間経済の占める割合を増やすことが経済効率化の道と確信し、まず英国石油や日本でいう電電公社など国有企業の民営化を次々と進めました。国有企業の株式の売却益は財政の赤字や借金の支払いに回すことができ、財政
面でも多大な貢献をしたといえます。これはサッチャー片相のアイデアでした。
 また航空や通信、そして金融の規制を緩和して市場の優劣にまかせるという方法も導入しました。競争原理の導入で企業間にはサービスの向上だけでなく価格競争も起きました。最初は「富めるもの」に味方したサッチャーの経済改革も商品やサービスの価格競争を通じて一般消費者にとっても利益が還元されるようになりました。
 イギリス次期政権もサッチャー色濃厚
 レーガン政権の減税政策や航空業界の規制緩和など一連の自由化路線。国鉄や電々公社の民営化を手掛けた中曽根首相の政策、そしてゴルバチョフ大統領のペレストロイカもサッチャー首相の政策の延長上にあるといって間違いありません。「レーガンと中曽根はサッチャーの教え子でゴルバチョフも生徒だ」といわれるゆえんです。
 もちろん、経済の効率化は経済的不平等を生み出し弱者にとっては住みにくい社会になることは間違いありません。しかし。福祉国家の悪平等を切り捨て経済社会に活力を取り戻す政策をあえて断行、まがりなりにも借金に頼らない健全なイギリス財政をもたらしたのはサッチャー政権の大きな成果といえましょう。
 一方、92年の市場統合を目指す欧州共同体(EC)にとってはサッチャー首相は「目の上のたんこぶ」的存在であったことは間違いないことです。最近では通貨統一を目指す欧州経済通貨同盟(EMU)への首相の強い
拒絶がEU各国を悩ませたことは広く知られていることです。また米国との強い外交的つながりを保持しつつEC内での地位保令を図ってきたことにはフランスなどから強い反発が生まれ、ECの結束という点では確かにマイナス面もありました。
 次期メージャー政権は、サッチャー色を強く残した政権であるといわれていますが、これまでイギリスの独特な外交政策がサッチャー個人のリーダーシップに導かれていたことは事実で、当面イギリスの威信低下を招くことは避けられそうにありません。