伊勢国酔夢譚

  • 宇治と山田

     伊勢市はかつては宇治山田町といった。宇治山田町は、明治22年の町制施行によって宇治と山田が合併して誕生し、同39年に宇治山田市となった。伊勢市と呼び変えたのは…続きを読む

  • 旅の免罪符

     江戸時代には、神宮などといういかめしい呼称はなかった。単に「お伊勢さん」といって親しまれ、毎年、30万人から40万人の参拝客があった。天照大神とは知っていても…続きを読む

  • 宗教法人神宮

     津支局長となって最初の仕事は伊勢神宮へのお参りだった。2日後の日曜日に近鉄に乗って伊勢市に向かった。伊勢市駅を降りて、参道をしばらく歩く と大きな鳥居があって…続きを読む

  • 神戸と神田

     生まれ故郷の高知市に神田という地がある。「こうだ」と呼ぶ。市内を東西に流れる鏡川の南のかなり広い区域で、今は住宅地であるが、子どものころ は鏡川が決壊したとき…続きを読む

  • 上賀茂の祖先はヤタガラス

     正月に京都の上賀茂神社を訪ねて驚いたことがあった。松村権禰宜によると鴨氏の先祖は八咫烏(ヤタガラス)だというのである。日本書紀によると、神武天皇の東征に当たり…続きを読む

  • むかしの公証証書だった熊野牛王符

     熊野牛王符というものがある。明治までごく普通に流通した。通貨ではない。証書の一種である。公証役場というものが現在残っているが、契約書をしたためる場合に公証役場…続きを読む

  • 熊野を考える

     紀の国は木の国であり、鬼(き)の国でもある。つまり紀の国は木がたくさん繁っていて、鬼がいる土地柄ということになる。多くの本に書いてある。 筆者の考えではない。…続きを読む

  • ダイダラボッチと世田谷代田

     職場で「ダイタラボッチ」を話題にしていたら、横の編集スタッフが「世田谷代田」の「代田」の由来がくだんのダイダラボッチだと言い出した。「うそだと思ったら、サイト…続きを読む

  • 小嶋千鶴子さんが到達したパラミタの世界

     伊勢にやってきて2年半となったが、来月この地を去ることになった。多くの人にどこがよかってですかと聞かれる。自然でいえば、伊勢神宮の杜と熊野古道の風景となる。人…続きを読む

  • 一日神領民として参加した遷宮のお木曳き

     5月6日、一日神領民となって伊勢神宮でお木曳き行事に参加した。 昨年6月、木曽山中で切り出した神木を伊勢神宮まで運び入れて以来、7年後の式年遷宮に使う神木が次…続きを読む

  • 日永追分から白子まで歩いて考えたこと

     16日の日曜日、伊勢街道を一人歩いた。東海道からの分かれ目となる四日市市の日永追分から鈴鹿市神戸(かんべ)を経て白子までの約15キロである。旧道の半分は農村部…続きを読む

  • 東海道膝栗毛五編追加 十返舎一九

     川崎音頭に、伊勢の山田とうたひしは、和名抄の陽田(ようだ)といへるより出たるにや。此町十二郷あり、人家九千軒ばかり、商賈甍をならべ、各々質素の 荘厳濃(こまや…続きを読む

  • 神武天皇から飛行艇に飛躍する

     紀州・賀田の宿の二階から久々に荘厳な朝焼けを見た。早起きはするものだ。刻々と変化する東の空に季節感はないが、やはり春の息吹を感じさせるものがあった。というより…続きを読む

  • 伊勢の国津神は神風という思い

     三重県に来てから2年が過ぎた。一番多く訪れたのはやはり伊勢神宮である。平均すれば月に2回は訪ねている。内宮を参拝するとき、必ず別宮の風日祈宮(か ぜひのみのみ…続きを読む

  • 遷宮の本義-再生の遺伝子

              2006年02月18日(土)神宮司庁 石垣仁久 皇室第一の重事 南北朝時代、北朝年号の貞治2年(1363)という年に皇大神宮権禰宜の興兼(お…続きを読む

  • 日本の祭の原点を見せる尾鷲のヤーヤ祭

     朝起きると一面の雪。昨夜から大寒波が列島を襲っている。午後3時、支局の後輩と津を発って尾鷲のヤーヤ祭を見に行った。尾鷲には5時ごろ着いた。 町は静かな面持ちで…続きを読む

  • 日本の祭の原点を見せる尾鷲のヤーヤ祭

     2006年02月04日(土)萬晩報主宰 伴武澄 朝起きると一面の雪。昨夜から大寒波が列島を襲っている。午後3時、支局の後輩と津を発って尾鷲のヤーヤ祭を見に行っ…続きを読む

  • 砂糖菓子「榧太郎生」と久子さん

    榧太郎生の話をメールマガジンで配信した3日後、朝に新聞夕刊に同じような記事が経済された。萬晩報をぱくったに違いないが、書いた記者はがぱくったのではないと抗弁して…続きを読む