三重県に来てから2年が過ぎた。一番多く訪れたのはやはり伊勢神宮である。平均すれば月に2回は訪ねている。内宮を参拝するとき、必ず別宮の風日祈宮(か ぜひのみのみや)にも立ち寄る。風日祈宮は五十鈴川の辺にあり、風の神さまである級長津彦命(シナツヒコノミコト)を祀る。外宮にも風宮があり、同じシナ ツヒコを祀る。
 内宮の参拝者のほとんどは風日祈宮を訪れない。それもそうかもしれない。神宮のお社はほとんど同じ形をしていて、区別がつかないから面白みがないのかもしれない。
 しかし、それぞれの宮や社には存在する意味がある。その面白みは日本書紀や古事記を繰り返し読んでいるうちに自然と身に着く。偉そうにいっても筆者はその現代訳しか知らない。それでも知らないよりずっとましなのだ。
 神話によると日本をつくったのは、イザナギとイザナミということになっている。淡路島をまずつくったが出来が悪かった。次に大和。大日本豊秋津洲(おお やまととよあきつしま)という美しい名前が付いた。さらに伊予洲と筑紫洲が生まれ、隠岐、佐渡の双子が出来た。その後に生まれた越、大洲、吉備の合計8つの州をあわせて大八洲(おおやしま)と呼ぶ。次いで山川草木を生み出した。
 二人はさらに子づくりに励んだ。最初に生まれたのは天照大神。太陽神のアマテラスで、次は月の神だった。月読尊(ツクヨミノミコト)という。ともに見目 麗しかったので天に送った。3番目は蛭子で、4番目が素戔嗚尊(スサノオノミコト)だった。最後に火の神、軻遇突智(カグツチ)が生まれたが、伊弉冉尊は その時、火傷を負って死んでしまう。この一連の物語を「神産み」という。この中で二人は風の神も生む。級長津彦(シナツヒコ)である。級長戸辺(シナト ベ)ともいう。
 日本が神風の国だという根源の神さまである。日本の歴史で神風が吹いたのはそう多くない。元寇の折りには神風が日本を救った。今回のトリノ・オリンピックのジャンプ陣には神風は吹かなかった。
 話を転じる。伊勢国の枕ことばは「神風」である。垂仁天皇の御代に倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が天照大神を伊勢の地にお祀りした際に、天照大神が述べたことばが日本書紀に出ている。
「この神風の伊勢国は、常世(とこよ)の浪の重浪帰(しきなみよ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うま)し国なり。この国に居らんと欲(おも) う」。伊勢国は常世の浪がくりかえしよせる国である。大和の国の近くにある美しい国である。だからこの国に住みたいと思う。
 歴史解説書は「常世」や「可怜し国」について多く語っているが、筆者は「神風」が気になってならなかった。三重県に住んでいるとやたら「風」というキーワードが出てくるからである。 
 三重県の中部を南北に走る青山高原には本州屈指の風力発電基地がある。風車はすでに24基あり、総発電能力は1万8000キロワット。3月には2000 キロワットの発電規模の風車が8基新たに加わり、3万4000キロワットとなる。
 2年前の秋、三重県は台風銀座となった。毎週のように大型の台風がこの地を襲った。秋口には伊勢湾岸が台風の通り道になる。古来、伊勢地方の住民は台風 の襲来に備えることを常としてきた。尾鷲という地名は多分、台風や大雨の代名詞として多くの日本人の記憶に刻まれているに違いない。
 伊勢湾から関に抜ける道はそのまま鈴鹿越えで琵琶湖へと風が抜ける。もっと北側の鈴鹿を越えて近江八幡に抜ける街道にまで八風街道という名が残ってい る。三重大学の農学部の元教授に同大の風力発電実験施設を見せてもらったことがあるが、この元教授が言っていた「伊勢は風の通り道なんです」という一言が 耳にこびり付いていた。
 元教授がつぶやいた一言が伊勢神宮の意味を思い起こさせた。そういえば伊勢の枕ことばは「神風」である。いつの間にか、伊勢の国津神は風の神だったのではないかということを考えるようになっていた。お伊勢さんの原型が風神だったらおもしろい。
 太陽は恵みの神であるが、風はそうではない、特に台風は禍そのものであり、古くから沿岸に住み着く海民にとって日々、命を預ける存在である。神を祀るの は自然の恵みに対する感謝である一方、災いを免れるための祈りでもある。
 現在社会で事故があった道に信号機が設置されるように、太古では災害があった場所に祠を建てるのはごく自然のことであった。死者が出れば人々がその場所 に「花を手向ける」のも自然な感情の表れであろう。自然の感情で風の通り道に祠が生まれても不自然でない。
 三重県にとって風の道をもっと現代に蘇らす発想が必要なのかもしれない。