津支局長となって最初の仕事は伊勢神宮へのお参りだった。2日後の日曜日に近鉄に乗って伊勢市に向かった。伊勢市駅を降りて、参道をしばらく歩く と大きな鳥居があってこれが伊勢神宮かと気付く。道案内は入らない。なんとそこは外宮といって豊受の神さまが祭られた社で、天照大神を祭る内宮はバスに 乗っていかなければ行けないという。初めて内宮と外宮という二つの社があることを知った。ちなみにそれぞれ「げくう」「ないくう」と読む。
 伊勢神宮は天皇家の皇祖を祭る単なる神社ではないことは参拝をしたことのない人でも知っているが、内宮と外宮とあって、併せると125にも及ぶ社 を抱えた巨大な神域であることは参拝して初めて知ることになる。これらの社は近隣市町村にまたがる約20キロ四方に点在する。20キロ四方といえば、東京 都の23区部に匹敵する空間である。宗教装置としてはたぶん世界最大規模である。その広大な神域が1300年にわたり経営されてきたことに畏怖の念を感じ ざるを得ない。
 やがて知ることになるが、この宗教装置の正式名称は宗教法人神宮といい、そこに伊勢の文字はない。最上位の神を祭るから、英語で唯一神を 「God」と大文字で表現するように固有名詞は必要としなかったらしい。多神教といっても神々の世界に君臨しているのが「神宮」なのである。なんとも神々 しい響きである。
 諸説によると、明治になるまで「神宮」を名乗ることができたのは、熱田神宮、香取神宮、鹿島神宮の4カ所だけであったという。熱田神宮は日本武尊 の草薙の剣を神宝とすることで知られるが、なぜ常陸の国の香取と鹿島の神々が神宮と名乗るのかいまだに分からない。大和朝廷にとってこれらの地の神々を上 位に祭る何らかの重大な意味があったはずなのだ。
 樫原神宮、平安神宮、明治神宮、宮崎神宮など各地に神宮があるではないかという指摘があるかもしれない。それらはすべて明治維新以降の創建された社なのである。
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