12 立場と品位
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いままでいくたびかあげてきたように、協力隊のモットーはどれもこれも〃野性讃美型〃である。
野性は隊員の誇りであっていい。しかし、本来荘厳でさえあるべき野性にも、落とし穴がある。たとえば、民衆に埋没しきって、かえって、民衆の軽侮を招くこともあるのである。途上国で民衆は、仲間のなかの優れた人間の言うことと、富と権力を持った人間の言うことと、どちらをよく聞くであろうか。案外、富と権力のほうに耳を傾けやすいものなのである。この点「どこの国へ行っても民衆は日本の民衆とおなじだ」というような、単純で観念的な物の見方をしていると、本人は大真面目でも、はたからみて滑稽というか、気の毒というか、正視しえない〃喜劇〃を演じてしまう。
隊員の行く先々の国は、ほとんど植民地時代を経験している。当時の富と権力を象徴していた、英国風とかフランス流の服装やマナーは、独立後の新しい支配層に引き継がれた。そのことの善しあしは別として、それが行ったさきの国の現実であるなら、その現実はふまえざるをえないではないか。出るべき場所で場ちがいの服装をし、場ちがいの言葉づかいをしていれば、それがよしんば民衆のものであっても、当の民衆がはたから見ていてばかにする。日本流にいうと〃里が知れる〃ということになる。
ふだん、田んぼに入って率先して働いていても、上流階級のまえに出れば上流階級のマナーがいたについている。こういう隊員だと、おなじ田んぼに入っていることの意味合いが、民衆から見てまったくちがったものになるのである。
往年の気品、新しい気品
外国奉行新見豊前守を正使とする、幕末遣米使節のマナーが、ワシントン官民の敬服の的となった史実が、あらためて考えさせられる。武はもと粗暴であったかもしれないが、文武両道の教えで洗練され、洋の東西を問わず通用する品位が、武士のマナーににじみ出てきていたのであろう。
知性、情操ということを、協力隊でも強く言うようになった。まだモットーとしては言葉が熟さないが、〃野性の中の知性〃という言い方もしている。しかしながら実際問題として、その呼吸はむずかしい。知性以前の問題である〃躾け〃ということが、戦後学校教育でも家庭教育でもなおざりにされてきた。
まずそれを、すでに社会人である訓練生に仕込もうとするのだから、訓練所の苦労もなみたいていではない。されるほうにも根強い抵抗感があるし、するほうにも、一夜潰けで果たしてものになるものやら、という戸惑いが出る。行儀の悪い日本人のイメージが世界を風靡しているなかで、せめて協力隊員は〃礼節の国日本〃と言われたかつてのイメージを想起させる人々であってほしい。第一そんなことよりも、仕事の上で支障を起こさせないためにきちんとしたマナーがほしいのである。そういうわけで、訓練生からどんなに〃押しつけ〃だといわれても、また、四力月のつけ焼刃では限界がみえているといっても、訓練で躾け教育をなおざりにするわけにはいかない、せっぱつまった立場があるのである。
もっとも本当は、知性や情操というものは、こんな次元の話ではないはずで、長年つちかってきた〃内なるもの〃が、自然ににじみ出、感じとられるものでなくてはなるまい。前述、遣米使節の立ち居振舞も、実はそのようなものであったにちがいない。千年にわたって大陸文化をこなしきった、円熟の風格というものだったのであろう。
そういうものがすたれ、西洋文化のほうは咀嚼不充分という、谷間のなかに現在の日本がある。黒光りするようなものが見当たらなくなってきたこの谷間から、新しい日本人の風格が、もう出始めていいころではないか。
三十年前、焦土のなかで日本国民は、文化国家の建設を誓い合ったのではなかったのか。
自律の心
「隊員は将校だ」
ということを、協力隊では意識的にいっている。それは、管理職的な仕事に携わるケースが多いという理由からだけではない。隊員はその国の規律には服するが、協力隊本部からはもちろん、在外駐在員からも目の届かないところで仕事をしていることが多い。ひたむきにやろうが、いいかげんにやろうが、監督する日本人はいないといっていい。その二年をどう暮らそうと、日本に帰ってからの自分のキャリアにはほとんど影響がない。隊員は若くしてそんな境遇にいるのである。監督を受けなくても、きちんと仕事をするのが将校で、人に律せられなくても自ら律せよ、ということを将校という言い方であらわしているのである。
将校だといっているのには、いま一つの意味がある。外国人という特殊な立場もあって、隊員は、その国のかなりの要人と会い、あるいは親しくなることが可能である。青年にありがちな体制への反撥から、ことさら要人との接触を避ける隊員もいるが、民衆の運命を牛耳っている人々を知っておくことは、民衆指向とすこしも矛盾しない。彼らを動かさなければ、真に民衆のためになることを実現できないばあいもすくなくないのだ。将校の矜持をもって、そういう人々との接触に当たらなくてはならない場面があるのだ。隊員はこのことを忘れてならないと思うのである。
日本文化の再認識
外国に出る日本人として、日本の文化的伝統や、それを具現している日本語への素養と愛情を持つことがたいせつだということも、知性と情操の問題だといわなくてはならない。そこで、すこし長くなるかもしれないが、これらのことにたいする日本人の無頓着ぶりを反省する意味で、このことに立ち入ってみたいと思う。
まず日本語の問題であるが、東南アジアを中心に日本語熱がこれほど盛んになってきたというのに、当の日本人は馬耳東風。この事態にどういう姿勢で対処するかを考えようとする気配がない。なんという間の抜けたことであろうか。
そこで考えるのだが、いったい、維新このかた、日本人が世界という視野のなかで、自分たちの国語に誇りを持ったことがあるだろうか。フランス人のフランス語にたいする愛情や誇りと対比してみたとき、その差のあまりにも大きいのに驚く。フランス人は行き過ぎだとしても、日本人はもっと、自分たちの言葉を文化的遺産として見つめ、品定めし、育てようと思うべきではなかろうか。
協力隊の選考試験で、論文がしだいに重視されてきたことも、右のことと関係がある。日本語を粗末にしないという〃身嗜み〃があるのかどうか、自分で考えそれを自分の言葉で語るだけの思考力があるのかどうかを観察し、それを通じて、人間を見ようとするのである。
日本語もそうだが、自分の国の文化的伝統にたいする素養と愛情の欠如に至っては、問題がもっと深刻である
世界史の流れのなかで、日本がなんであったのか、いまどんな役割を果たせる位置にあるのか。こういうことを、文明史論的に語る深さをいまの日本人はほとんど持ち合わせていない。第一、外国人に語るまえに、自分たちで確かめ合おうとする努力が、はたして行われてきたのだろうか。歴史の書かれ方にも問題があろう。世界史の視点から、日本人はどういう生き方をしてきた民族なのかを、もっと相互比較的に解明しなくてはなるまい。
日本人が、一部でいわれるような不可解な人種であろうとは考えられない。他との対比において描かれていないから、不可解にみえるだけのことだと思う。
われわれが祖先から受け継いでいる潜在能力や持ち味をいまこそ確かめるべきではないか。そのことによって、これからなにができるかという目安も立つ。世界から期待されているいろいろなことが、もっともなことが、無理な注文なのかの判別もつくというものであろう。
外に出るまえに、あるいは協力隊を志願するまえに、隊員はもっと日本というものについて考えるべきだし、もうすこし素養を高めておくべきだと思う。そして外に出たら、そこでの異文化を鏡にしながら、日本人という一億余の人間集団の真の姿を見てほしいのである。
生命の尊重と生きがいの間
〃隊員とはなにか〃が根源的な形で問われることがある。かつてのラオス愛国戦線の攻勢だとか、ミンダナオ島回教徒の叛乱などに当たって、任地を離脱すべきかどうかの岐路に立つときである。
いままで、隊員は残留を望むことが圧倒的に多かった。それは、逃げることを恥とするからであるよりも、仕事への〃執念〃からきたものだと思われる。
隊員の精神構造は、仕事を離れるかどうかを、契約上の権利、義務の次元でなく、〃生きがい〃の次元で受けとめるようにできているらしい。打ちこんだ仕事を途中で放棄することが、心の深層部で自分の〃生〃に泥を塗ることになるのである。そうなると、心なしか〃危倹〃にたいする感度は鈍らざるをえない。そこで
「退避するほどの状況ではない」
と主張するのである。万が一のことを慮る協力隊本部や駐在員とは当然に意見が衝突する。
意見の対立は、一見して〃危険だ〃〃危険でない〃の情況判断のちがいのようにみえるが、真の争点は〃生命の尊重〃か〃生きがい〃かという、根源的な事柄にかかわっている。ここで究極的に問われるのは
「隊員一人ひとりの選択を、どこまで尊重すべきか」
なのだ。そしてこのギリギリの一点は、
「個人の尊厳とはなにか」
「自由とはなにか」
を極限状態で問いつめる一点でもある。
法的には、協力隊本部の緊急指示権が、隊員との間に合意されていて、なんの問題も残していない。それに基づく協力隊の指示が、どちらかといえば〃安全重視〃気味に発動されてきたことも、現在の日本の良識に合致していると思う。
だが本質的な問題はすこしも解決されないまま残っている。
それは隊員個々の意思を、もっと尊重するわけにはいかないのかということだ。
人間追究の姿勢が失われない限り、協力隊のこの種の案件処理は、これからも〃苦悩に満ちた〃ものたりつづけるであろうし、私(著者)はそうあってほしいと願っている。一言、付言すれば、
「隊員は将校である」
といったのは、学歴や社会的地位からみたエリートということでなく、高学歴、低学歴を縦に貫いた精神の高さを期待してのことでもあったのである。
男女の交際
精神の高さにかかわる問題として、べつに、男女の交際問題がある。このことについて、協力隊のとってきた立場はこうである。
a 社会人たる隊員は、日本にいるときから、この問題には自分個人で対処してきているはずだ。外に出るからといって、あらためて協力隊としてのルールを作りはしない。
b ただ注意を促したいことがある。日本では、意識するとしないにかかわらず、対処の仕方は、現代日本のモラルの幅のなかであったと思われる。しかし行ったさきの国では、上限、下限を含めたモラルの幅が、日本のそれとはちがっていると想定してかからなくてはならない。
いまの日本で若い男女が手をつないで歩くことはなんともなくなっているが、ネパールへ行くと、周囲が眉をひそめる行動となる。周囲に不快感を与えることは〃傍若無人〃につながり、礼の本旨に悖る。
問題は下限が日本より低いばあい、そこまで自分の行為を落としていいか、という点である。程度問題であるが、そこは日本人として身を持してほしいところである。
c 日本では個人として非難されるだけですむことが、向こうでは、隊員全体の評価を傷つけるばあいがすくなくない。そういうことのないよう、各人が気をつけていくのが隊員の運帯感の現れといわなくてはならない。
男女の交際にかんしては、現地での結婚問題がある。協力隊には、
「結婚するならば、隊員の身分を離れてからにすること」
というルールがあり、その是非をめぐって、立法論的に強い異論も存在している。それにもかかわらず、一見〃協力隊らしからぬ〃このルールが存続しているのはなぜであろうが。
まずそれは、国際結婚が日本の精神風土にまだじゅうぶんになじんでいない、という事実認識に立脚する。日本社会が国際結婚に向ける視線は、異常なものを見る視線だと考えられ、米国社会のばあいとは大きい開きがある。そういう厳しさのなかに一人の人間を導き入れるに当たっては、本人にたいして〃人並み以上〃の愛情があることを確めるべきだといえよう。
任期を終えて帰国し、日本の境遇のなかで〃残してきた人〃を考え直すならば、そのときこそ自分の心の真実が確かめうる。最終判断はそういう状況の下で行うべきではないか。神でない自分の心を確かめるために、任期いっぱいがどうして待てないか。国際結婚が厳しいものであるだけに、隊員は人一倍の配慮を伴侶たるべき人のためにすべきではないか、というわけである。
政治と宗教
隊員が、その立場上心せよといわれている事項に、政治と宗教に関与しないこと、というのがある。
当たり前といえば当たり前のことだけに、あらたまって説明するとなると、一瞬の戸惑いを覚えないでもない。しかし、じっくり考え出すと、事柄は思ったより複雑で、かつ、灰色なのである。いくらその国の人になりきろうとしても、その国に生まれ、育ち、これからもずっと生きていく人々と、完全に一体になることが、外国人にできるはずはない。できると思う隊員がいたら、一種の思いあがりである。客人である隊員が、その国の脊髄部分に当たる政治や、精神文化の支えである宗教のことに口を出す、あるいは行動で関与するということは、明らかに外国人としての節度を越える。このような不関与の理由自体は、複雑でも灰色でもない。複雑で灰色なのは、政治でいえば〃どこまでが政治なのか〃というケジメの部分だ。
わが国とは国家体質がちがう国、隣同士でも相互に国家体質がちがう国々だ。一党独裁、戒厳令下などという言葉で表現されていてもそれぞれの国情に根ざす差異がある。日本の常識でそういう政治体制の差異をみきわめようとしても無理だ。どこまでが〃政治〃なのか、という判断も、それぞれの国を個別的に考えなくてはつくものではない。ただ、そういうことをふまえて、おおまかに共通点をいえば、隊員は、国際的に承認された政府―政権―の要請で、その国の国づくりに参加するわけだから、反政府人士との接触には、すくなからず気を遣い、思慮、分別を働かせなくてはならないということである。
たとえば、地下運動に携わっている人々と親交を結ぶのは、どうみても穏やかでない。〃通常の〃野党や野党系の人々となら、親しくなったからといって、なにも不都合はないはずだ。それが一方に偏りすぎて、思わぬ誤解を招くことのないように注意すればたりる。
外国人のすることだとして、つき合いの面でも、大目にみてくれるということはあろう。しかし、それは先方が〃配慮〃してくれることなのだから、礼節上こちらも、その配慮に甘えないという〃心遣い〃が肝要である。
仕事のことで、たとえば州知事くらいの人と政策論をかわすような機会は、ままあることだ。そういう場でなら、ものの言い方にさえ気をつければ、自分の意見を率直に述べるのが隊員らしい。そこで意見を述べて内政干渉にならないか、などと心配する要はない。しかし、そのおなじことを、知事のまえで言わないでいて、べつの場で言うとなると、知事誹誇になり、政治的発言ととられても仕方があるまい。
隊員は一般に正義感が強いので「なんとかかんとかおだてられながら、自分は結局はこの国の富裕階級に奉仕しているのではないか」と心のなかで迷うことがある。一生懸命やってきたことが、たとえば上司の、中央へのご機嫌とりに使われているようにもみられる。〃住民不在〃の行政、そしてその紊乱などを目のあたり見て、自分でなにもできない。そういうときの無力感は切実であろう。
国営工場のマネジャーと、その後釜を狙っている人物とが争っていて、隊員がうっかり〃技術者の良心〃に従って意見を述べようものなら、それが政治的に利用されてしまう。そういうことで困り果てていた実例もある。
隊員は〃清浄の国〃に出かけていくのでもなければ、真空管のなかで仕事ができるはずのものでもない。見ようによって隊員は、日本よりはるかに多い不合理や、政治的混乱のなかに飛び込んでいくのである。
どこまでが〃政治〃なのか、のけじめは、つまるところ勘の問題であろう。日本のでなく、その国、その地域のルールやリズム、平たくいって〃常識〃を身につけることによって、〃ここらあたりまで〃という節目がつかめるようになるのであろう。
宗教については、政治のことほど心配はいらない。海外の日本人が宗教への鈍感ぶりを多々示しているなかで〃溶け込み〃の合言葉が脳裡に刻みこまれている隊員たちは、その国の人々の〃宗教心〃を理解しようとする。神を持つがゆえに、人々の心がどれほど安らぎを得ているかを知る。そのあたりのことが、隊員のいう〃学んだこと〃のかなり重要な部分になっているのである。
日本では、すべての天災は〃人災〃であり、だれだれが悪いからだと言って怒るのがまるでしきたりのようになっている。国のなかが〃怒り〃だらけだ。それなのに、この国ではその〃怒り〃が日本の十分の一でおさまっているではないか。アヘンだとしても偉大な、この宗教の力に隊員はまず驚くのである。そのうえ、宗教が、いますぐ豊かになどなれない人々の心をやわらげているとすれば、幸せへの貢献は大きい。
「考えさせられることだ」
となっていくのである。隊員の心に、宗教への軽侮が生まれる心配は、まずないといっていいのではあるまいか。 |