三十一年前、われわれは国をあげての戦いに敗れた。余燼くすぶる焦土に立って三十一年後の現在を想像することのできた人がいるであろうか。われわれは当時の想像をはるかに絶する発展をとげた。はるけくも来つるかな、の思いである。
しかし、いまこの発展の成果のうえに立って、われわれはその成果を喜んでいるであろうか。現在を幸わせと感じその幸わせを感懐をもってかみしめているだろうか。
明らかにわれわれの心はそんな状態にない。それどころか、とげとげしさや「うつろさ」が充満していると思うことのほうが多い。大きい、防ぎようのない危機が静かにどこか遠くから近づいて来ている予感さえある。これだけの豊さのなかでまだ幸福が味えないなら、われわれはいつごろどんな形で幸福を味えるようになれるのだろう。われわれがまだ幸福を味えないとするなら論理的にいって、東南アジアやアフリカの人々が幸わせを感じることのできるのは、いつの日、どういう状況の下においてなのであろう。
ともあれわれわれはこれだけの発展の成果を喜びあえないでいる。これはどこかでわれわれが幸福追求の道を誤っているからではあるまいか。そしていま日本にとっての最重要課題は、この誤りの所在をつきとめその原因を探ることではないだろうか。こうしてその是正の方途をみいだしえてはじめて、われわれは将来に向がって心を奮い立たせることができるであろう。
青年海外協力隊のいのちは実践にある。
異民族社会のなかに、多くのばあいただ一人で飛び込むという実践活動は、たしかに若者を逞しうする。しかしそれだけにとどまらない。大多数がまだ本人自身意識していないであろうが、文明をその原点から考える心の素地が、実は二年の実践のなかでできあがっているのであり、青年海外協力隊が日本の進路のうえで持つ最奥最深の意義は、まさにここにあると信ずるのである。
協力隊における四年十力月は、私の生涯において、平和時におけるもっとも生きがいとやりがいを感じた時期であった。その思いで、私が到達しえたところのものを文字にしたのが本書である。解説をもっとするつもりで筆を起こしたのだが、書き進み訂正を重ねるうちに当初考えたものとは似ても似つかぬ論文調のものになってしまった。しかしそのことを、かえってよかったといまでは思っている。実際を語るよりも、実際の奥にあるものを突きとめることのほうが、どちらがといえばむずがしいことであり、筆を運ぶ心が自然にそちらに向いてくれたことは、冒頭に述べたような見地から考えても幸いであったと思う。そして、協力隊を考えることは世界のなかの日本を考えることになるという実感をあらためてかみしめているのである。
四年十力月の間、私の思考はどの部分をとってみてもその発端を隊員が作ってくれている。私は本言の上梓に当たって、まず現役とOBの隊員諸君にこのことを報告したい。
協力隊の運営に当たって、私は多くの方々から助言と力添えを頂いた。そのご厚意は後後まで忘れることのできないものである。謹んで御礼を申し上げる。なお本書の出版を引き受けて頂いた講談社への謝意をこの紙面を借りて申し述べたい。
昭和52年1月
伴正一
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