7 現場勤務型
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ここで現場勤務型と呼ぶのは、一種の役人型で、その点後で述べる本庁、試験所型と変わるところがない。ちがっているのは、職場が工事現場であったり、仕事がジャングル地帯の測量であったりする点である。政府直属という位置づけがされているとはいっても、その〃職場環境〃が〃前線的〃である。現場監督という責任者の立場で、かなりの部下を率いその人事管理はおろか、ときには給与支給まで任されることがある。土や油にまみれ、素朴な人間を相手にする。一種の清々しさがそこにはある。パイオニアの気風にピッタリで、気持ちの整理などに苦労することがまずない。
人里を離れて厳しい自然と闘うばあいも多く、仕事をしていて、「この国の国づくりに馳せ参じている」という実感が湧く。「自分がいながったら事が運ばない」と思うし、やればやるだけ目に見えて努力が成果を実らせていく。動かなくなっていた車両や建設機械が直って再出動していく。その後ろ姿とエンジンの音……。理屈など考えておられようか。生きている証がそのなかにある。それだけではない。すこし慣れてくると、部下をじゅうぶんに使いきってみようという気になる。そして一人ひとりの性格、生いたち、家庭事情などを考えてみる。作業動作をよく観察し、話を聞く。日本人の性分からすれば情が移らないのがおかしい。
戦争と平和の差こそあれ、苛酷な自然のなかで異民族を率いる隊員の姿には、往年のアラビアのローレンスを想わしめるものがありはしないか。
数え歌と九九―庶民教育の知恵
こういうと、えらくロマンティックだが、隊員がホトホト参る、絵にならない情景もある。測量でも物品の出納でも、仕事の基礎になるのが計算能力なのだが、部下に計算をまかせているとまちがいだらけである。そこで隊員は、日本人らしく部下の補習教育を思いたつ。ところが、教えても教えてもおなじまちがいをくり返す。やりきれない。小学校でなにを教えていたのだ、と言いたくなる。だがここで投げ出してしまっては終わりである。民衆指向の正念場とは、こんなときのことではないか。
そこで協力隊ではこんなヒントを投げかけて、隊員のなかからだれか一人でも名案を編み出す者はいないかと待ち望んでいる。
計算とか仕事上の基礎知識を、〃遊び〃とか〃歌〃にしてわかりやすく教える知恵はないものか、ということである。日本の庶民教育で用いられた〃いろはカルタ〃や〃数え歌〃がいい例である。掛け算の〃九九〃もゴロ合わせがよくできていて覚えやすい。その土地、その国の好みに合わせ、唱えやすい〃九九〃を考案できないものか。はやらなくて〃もともと〃運よく流行してくれれば、国全体の知的水準を大きく底上げしたことになる。南十字星を仰ぎ、娯楽もない〃現場の夜〃を、〃九九〃などをひねって過すのも一興ではないか、というわけだ。
インセンティヴの模索
〃労働意欲〃の問題は、計算能力以上に気が滅入る問題である。これはなにも途上国に限ったことではなく、どの国でも経営者や管理職の頭を痛める課題だといえる。たしかに日本にくらべて労働意欲が低いことは事実だろうが、〃程度〃の問題を別にすれば、事柄自体は取り立てて問題にすることではない。それにもかかわらず、やはりここで〃労働意欲〃のことを取りあげるのは、インセンティヴ(努力のしがい)の点で途上国の現状にふれておきたいからである。
隊員の部下のほとんどは、学歴に乏しい。現在の仕事を現在のステータス(職階的地位)で一生涯つづけ、給料もあまりあがらないで終わってしまう人々である。仕事にもっと習熟しろといわれて覚えてみても、覚える〃御利益〃などありはしない。それでやる気を起こせというほうが無理である。多少の匙加減を給与面ですることはできる。働きがとくに悪ければクビになる恐れはある。しかし、こんなものをまともなインセンティヴといえるはずがない。
インセンティヴとは、よくできる、感心な、あるいはすばらしい人間を、なんらかの方法で〃取り立てる〃ことではないか。そしてこのことこそ、途上国の新しい人づくりの要諦ではないのか。しかるに現実はそのことに程遠い。昔からの身分や〃門地〃の壁が満足に破られていないうえに、新しい学歴の壁が重なる。所属庁の絶大な信頼を背景にして〃抜擢〃を実現させた隊員もいたことはいたが、通常なら一人の隊員の力で破れるはずのない厚い壁である。途方に暮れる隊員の姿が目に浮かぶようではないか
目さきを変え、奇想天外な方向からこの課題を攻める道はないものか。
そこで「もしや……」と思い浮かぶのが、江戸時代の職人気質のことである。大工、陶工、杜氏などには〃腕きき〃といわれる名人気質の人間がどの藩にもいた。一段上って〃上方一〃とか〃何々の神様〃とまでその名をうたわれるに至った者も少なくなかった。彼らは士農工商のどこに位置していようと、生涯もとの身分のままでこれだけの〃社会的ステータス〃をかち得たのである。こういうことが、一つの風潮を作って、身分的に浮かばれない庶民の向上意欲をどれだけ刺激しつづけたことであろう。立派なインセンティヴではないか。
江戸時代の日本で可能だったことを、二十世紀後半の途上国で可能でないとするのは早計ではないか。何十年かかるのか見当はつかないにしても、一人ひとりの隊員が〃種を蒔き水をやって〃いれば、いつの日か江戸期のような〃風潮〃が育たないとも限らない。
アイディアの吸い上げ役 こんな話がある。UNIDO(国連工業開発機関)から東南アジアの国に派遣された日本人専門家が、七、八力所の紡績工場を受けもって、アドバイザーの仕事をしていた。かれはつとめて労働者と話す機会を持ち、熟練工たちのなかにいい着想を持っている者がいることに気がついた。
工場長はたいてい大学を出たての〃エリート〃で、実際面が弱いくせに工員たちを見くだしていた。これでは工員たちの意見を取りあげそうにないとみてとったこの専門家は、彼らが言っていたことを、自分の意見のような顔をして工場長に進言したのである。そしてその多くは実現し、改善が進んでいった。日本に帰ってこの専門家は、「私の仕事の半分以上は、こうして吸い上げボンプの役をすることでしたよ」と述懐していた。考えさせられることではないか。
そこで思うのだが、一人の外国人を通じてではあるが、自分たちの心に浮かんだアイディアが現実のものとなっていくことに、当の職工たちは鼻高々の思いをしなかっただろうか。とにかく愉快だったにはちがいないと思うし、もしかしたら、生まれてはじめての〃仕事のなかにある喜び〃を感じていたかもしれない。彼らの心理がここで推測するようなものであるとしたら、この〃芽生え〃を育てあげる道はなにかありそうに思えてならないのである。
秘められた生命力 すこし脱線気味ではあるが、いわゆる〃やる気〃といっても、そのよってきたるところの根源はなんだろうかということについて、ここに一つの興味ある体験話があるので紹介しておきたい。
おとなしくて、一見どこにも見受けられるような明るい隊員がいた。測量が本職にしては奇妙なくらい味のある文化的な話をする隊員であった。かれの置かれた環境はボルネオの原始林のまっただなかで、マレーシアでも群を抜いて奥地前進型の配置だった。
かれの部下は十人ばかり、そのなかには、隣のサラワク州や隣接はしているがインドネシア領のカリマンタン、さらには海を隔てたフィリピンからの流れ者も合まれていた。そんな多部族構成の配下とともに、かれは象の足跡がすぐ近くに見られるジャングルのなかで、粗末な小屋掛けをしていたのだ。
聞いてみると、小屋を設定して一、ニカ月すると、蟻とねずみがどこからとなく寄り集まって来て、人間の住めないくらいまでの巨大な群に膨れ上る。この自然の猛威から逃れる道は離れたところに移動するしかないのだそうである。測量現場はそこからさらに徒歩一時間のところにあった。そういうなかでかれの人間観察が始まるのである。
部下が一人一羽ずつもっている鶏は闘鶏で、たいせつに足を紐で繋いである。賭けごとが大好きなのだ。彼らはわずかな超勤手当で文句を言うくせに、賭けに興じたり、ときたま町に出て酒が入ったりすると、別人のように金離れがよくなる。郷里に妻と耕地を何年も置き去りにして平気なのもいる。
こんなムラの多い彼らの生活を観察しているうちに、ある日鋭くかれの心を惹いたのが、たまたま近くに現れた野猪を射とめに飛び出した一人の部下の俊敏さであった。日ごろのかれからは想像もできないような生命の躍動である。なんという隔絶だろう。その逞しさはいったいどこからくるのだ……。
サンダカンヘの道を拓く最前線にあって、この隊員はつきせぬ興味をもって人間を見つめつづけた。そのかれが課題としてとらえた〃惰性〃と〃躍動〃の鮮やかなコントラスト、それは〃人間を深層で探る〃興味深い着眼ではあるまいか。
外来文物への対応には時代と民族によっていろいろの型がある。アメリカ・インディアンは圧倒されて無気力化への一路をたどった。彼らを生き生きとさせていた〃生のリズム〃はひとたび狂ってついに立ち直ることがなかったのである。
日本人はどうか。大陸文化の波にも西欧文化の波にも、かなり混乱の渦を巻き起こしながら、それを乗りきって結果的には自らを豊かにすることに成功した。外来文物の不調和音を収斂し得て〃新しいリズム〃を作りあげてしまったのである。
第三世界の国々が日本のようにいくかどうか。開発を焦り過ぎて適正ペ−スを見誤ってはいないか。沈滞気味の古いリズムを破壊することによって活力が噴き出すということもあるにはあるが、固有の生活リズムのなかでこそ存在しえた活力もあるのだということを忘れてはなるまい。そういうことに深い洞察を加えながら、民族や部族の生命力の根源を保全することに、もっと多くの配慮がなされなくてはならないと思う。
肩書きの効用
現場勤務型でも、勤務場所が都市近郊のこともすくなくない。都市のど真中であることさえある。都市に近づくにしたがって隊員の〃役目〃は、ラインからスタッフ、監督者からアドバイザーになる傾向がみられ、〃アドバイザー化〃にともなって起こるのが〃肩書き問題〃である。
アドバイザーなりエンジニアという辞令をもらっているとスッキリするのだが、実際はそうでなくてボランティアというあいまいな名称のままで配属されるほうが多い。そして、ボランティアという呼び方は、職場に入るまえまでは〃聞こえ〃のいい言葉なのだが、いざ職場に入ってしまうと逆に不便な言葉になる。意味のとりようでは、いてもいなくてもいい人間と解釈のできる〃始末の悪い〃言葉である。その語感には、もともと〃素人の手伝い情景〃を想わせるところがあり、その裏返しは、「好意でやってくれているのだから、いつ何時いなくなるかもしれないし、それに文句もつけられない」ということになる。
「権限や責任は持たせるべきではない」
「抜けられて困るような仕事は正規職員にやらせろ」という考え方が出るのも無理はない。お客様扱いをされ、すこしくらい勝手なことをしても大目に見てくれて気は楽かもしれないが、〃ボランティア〃の肩書では、本当の仕事はやりにくい。やはり職場では、地位と権限と責任をハッキリ示す〃役名〃をもらって仕事にかかるほうがいい。このことはまた、隊員のモラルのうえでも望ましい。
もっともこの点は、協力活動のうえで重要なポイントであるし、若干反論もあるところなので、考え方を整理する意味でもうすこし問題を掘り下げてみたいと思う。
協力隊では、「隊員は、二年間養子にいったつもりでやれ」ということを言っている。
「二年間、忠誠の対象を日本からその国に移すのだ」とも言っている。忠誠の対象を移すというのは、英語の翻訳みたいだが、いまの日本人にわかりやすく言い直すと、〃国籍を移す〃というのとおなじ意味である。右に掲げた言い方は、いずれも協力隊の哲学を、簡潔に表現しえている。そしてこれは、肩書き問題を考えるときの一つの指針にもなると思うのである。
ボランティアの連帯意識としては、隊員同士に上下はない。しかし、受け入れ国や配属先の事情いかんでは、A隊員は上級職につき、B隊員は中級職につくとか、C隊員は実力を認められて途中で昇進するという式のことが起こりうる。養子にいったと思えばいったさきの国のルールに従うのが当たりまえで、右のような事態を淡々とした気持ちで受け入れられるようでなくてはなるまい
心にボランティア精神が流れていればじゅうぶんだ。〃肩書きとしてのボランティア〃にこだわるのはやめて、〃養家〃から仕事のしやすいように新しい〃役名〃をもらったらどうか。どんな役名をもらおうと、無報酬のボランティアたることに変わりはない。日本の美意識からみても、ボランティアという〃名礼〃をブラ下げて歩く姿はどんなものであろうか。
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