はじめに
隊 員
青年海外協力隊
協力隊参加の意義
海外協力活動

教 室
現場勤務型
本庁、試験所型
ポランティア
実践者
青年
立場と品位
実りと国益
あとがき

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1998〜2000 Shoichi Ban
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   ボランティア・スピリット 伴 正一 講談社 1978.3.30

 
 
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 11 青年
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 隊員の多くは、〃いまの日本人〃なら驚くような僻地に入りこんで、よくぞここまでといっていいくらい、土地の人になりきっている。上手、下手はあっても、すべての隊員がその土地の言葉で仕事をしている。しかもそういう生活が側で思うほどこたえているようでない。その証拠に彼らの顔が明るいのである。これは、やはり、隊員が若いからこそ可能なのではないだろうか。

 〃豊かな生活〃から一転して、貧困のど真中に身を投ずることは、体の抵抗力の衰えた年配者にはこたえる。新しい言葉を覚えることも、若いときのようにはいかない。〃原則として三十五歳未満〃の年齢制限をはずしてみても、協力隊の圧倒的多数はやはり若者によって占められるにちがいない。このことはアメリカの平和部隊をみても想像がつくことで、六十歳でインドに行った、〃大統領の母〃カーター夫人などは、隊員としては珍しい都類に属する。

 隊員の仕事は、国際協力のなかでも、自然条件、社会条件の厳しい局面でくり広げられる。通して言えば、ボランティアであり、かつ若いときでなくては〃やりおおせない〃仕事だといって過言でない。してみれば、こういう厳しい局面に挑もうとする者が日本の若者のなかにいなくなったと仮定すると、「青年海外協力隊」は消え失せるしかあるまい。

 協力隊の消長は、外における〃二−ズ〃より、日本の青年の気概の有無に、はるかに多く依存するといわなくてはならない。

 経験の必要性

 協力隊のことをかなりよく知っている人でも、隊員の平均年齢は〃二十歳前後〃と思いこんでいる人がすくなくない。春、秋の募集期には、高校生から

「卒業してすぐ行けるのか」
という問い合わせが、最近まであとを断たなかった。

「なぜ、大学生ではいけないのか」
という問いかけもある。協力隊の応募資格は、「二十歳以上、原則として三十五歳末満」

となっているが、最近では二十とか二十一歳の人はめったにいない。平均年齢でいうと、出発の時点で二十六歳前後なのである。大学出でも三年は経っている計算になる。そこで、この現実を起点としながら、協力隊参加の〃適齢期〃いかんの問題を考えてみよう。

 技術や経験の面からいうと、たいていの専門分野で実務についてから十年や二十年は能カの上昇が続くだろうから、

「年齢は高いほうがいい」

という結論になる。では〃必須条件〃として、最低どれくらいの実務経験年数がなくては〃技術屋として外に出せない〃ことになるのだろうか。実際は、多様な職種(六十とも言われ、計算の仕方いかんではその倍にもなる)ごとに、受け入れ希望国側の〃要請内容〃を吟味して個別に割り出すしか方法のないことである。看護婦のばあいだと、〃正看〃資格取得後「三年」の実務経験というのが、どこの国でも通常求められる資格基準になっている。しかしこれほどハッキリしている職種は珍しいほうで、他の職種では大卒後「三年」の実務経験を求められるかと思えば、学歴や経験年数をやかましくいってこないケースもある。〃要請〃一件ごとにまちまちなのである。

 そういうなかで、なにか看護婦のばあいのような目安がうまく立たないものか、というのがいま協力隊がかかえている課題であるが、それには二つの視点がある。

 一つは技術の世界での〃良心〃や〃プライド〃の配慮である。実は看護婦の正看三年というのも、先方の要請もさることながら、人の命を預かるという職責を重視した、日本側の良心的配慮も加わっているのである。

 いまひとつは、協力隊の運営経験に基づいて基準を職種別に設定していく問題である。たとえば「建築」については、「設計」なら大卒四年、「現場監督」なら高卒六年というふうに、経験則に基づく〃目安基準〃を立てていくことだ。現在応募者用の説明文書には、大卒なら一年から三年、高卒なら四年から五年と説明されていて、まだ職種ごとに整頓されてはいない。しかしそんな大ざっぱな目安でも、その出どころはなにかといえば、経験からはじき出した〃目安〃にほかならないのである。

 適齢考

 適齢期考察の視点は、技術面にとどまるものではない。ほかに重要なことの一つとして〃現職参加〃を円滑にする、という視点がある。現職参加というのは、後でくわしく述べるが、ひとくちで言うと〃会社をやめないで〃協力隊に参加することである。

 この見地からすると、〃就職後二年〃は経っていないと〃話〃が進めにくい二年というのは〃会社側〃からみて、ひと通り本人の人柄や能力がわかってくるころである。有給休職あるいはそれに準じた措置を講ずるに値する人間かどうかを、雇用者ないし組織の立場から判定可能な時期だといっていい。それが一年も経たないうちだと、〃会社〃は当惑してしまう。

 そもそも本人がずっと〃会社〃にいる気なのかどうか、というあたりからあやしんでかからざるをえない。こんな状態で〃五割休職〃のような優遇措置をとってくれというのは、どだい頼むほうが無理である。

 他方、入社してからの年数は長いほどいいのかといえば、そうもいえない。それには、また、別の阻害要因がひそんでいるように思われるからである。社会人となってからの生活がいたにつきすぎて、なにかに青春の二年をかけるというような気持ちが湧きにくくなる。結婚という形で身を固める時期にもなってくる。技術面で条件が整うというメリットはあっても、協力隊参加というような冒険には不向きな心理状態になってくる、とみなくてはなるまい。

 いろいろな視点からの考えを総合してみると、感じとして、〃出発時二十五、六歳〃を頂点とし、前後に裾野を引く図形の形で、適齢期を想定するのが順当だと思われる。そしてこれは、現地での〃人間関係〃の面からも、妥当なことだと思われるのである。

 危うい学生気分

 隊員描写の文中には、よく

「現地の若者と肩を組んで」

という式の表現がみうけられるが、これはかなり誤解を招きやすい言葉だ。協力隊を〃現地の青年運動に加わるもの〃とみては思い違いで、青年だけでなく老人も壮年もいる〃人間社会〃に隊員は入っていくのである。してみれば、社会人としての〃もののわきまえ〃がなくては仕事にならない。大学出たての学生気分でやられては〃向こう迷惑〃というものだ

 精神的な成熟ということは、隊員に求められる重要な資質で、それは知識や教養とはまた別物だ。おなじ二十六歳といっても、社会経験の多い高卒は、学生時代の長かった大卒より成熱しているし、近所や親戚に気を配らなくてはならぬ農家の嫁は、その修練を経ない風地の主婦より〃大人〃である。あるラオス帰りの隊員が、

「知識はこちらが上でも、生きる知恵となると向こうの老人にかなわなかった」

と述懐していたことが興味深く思い起こされるのである。

 青年期の沈滞を破る

 成熟ということをいったついでにふれておきたいのが〃年齢力−スト〃のことである。

 隊員の言葉の端に「私のような三十にもならない青二才が……」ということがよく飛び出してくる。日本ではごく常識的なことだ。しかし、途上国で隊員の口からこの言葉が出ると、抵抗を覚える。年齢コンプレックスではないのか。三十未満がその国では枢要の地位についているではないか。閣僚さえいる。隊員が管理職にすえられてなにもおかしくない国情ではないか。

 おなじ年ごろの青年が隊員より何段階も上の地位についているのに、なぜ隊員は目らを卑下して〃青二才〃と呼ばなくてはならないのか。国づくりの檜舞台に青年層が躍り出ている精神風土だ。その精神風土のなかに飛びこんできていて、なぜ、隊員は気持ちの転換をしようとしないのか。日本離れの不足だと思う。

 日本では、青年、青年ともちあげられながら、彼らが〃青年である間〃に思う存分のことをやれる分野がせばまってきている。いったんは学生運動のような形でエネルギーの発散をすることがあっても、職場での〃はたち代〃は半人前の扱いだ。抜擢ということも段段すくなくなってきている。資質形成の一番たいせつな時期に、活力の使い道が封ぜられてしまっている。成育期に日照不足だと作物もよくできない。若くして家業をつげた世襲制のころには、いまよりは若い者ががんばっていた。封建制度を打破したことはよかったにしても、その代わりに年功序列制が根を張ってしまった。手放しに喜んでなどいていいものだろうか。

 隊員には、協力隊参加の機会に、〃若者の問題〃を原点から考えてもらいたい。それと同時に、せめて二年の間だけでも〃はたち〃の沈滞を破る形で健闘してほしいと思うのである。

 終身雇用制をのりこえて―現職参加への呼びかけ

 青年海外協力隊の発展を阻む、最大の壁は、日本社会の終身雇用慣行だといわれている。この慣行を基軸にできあがっている〃雇用秩序〃全体が、協力隊のような長期の奉仕活動参加を困難なものにしている。技術系ではやや労働市場に流動性が出てきたといわれているが、一度企業を退職したら、再就職の条件は決定的に不利になるのが一般の実情である。

もし、〃再就職の不利〃ということがないなら、いまごろ、日本は現在の十倍近い隊員を海外に送りえていることだろうし、応募者の層も決定的に広いものになっていることであろう。だが、そんなことをいってみても、終身雇用制には、日本の社会体質に深く根ざしたものがあり、それだけメリットも大きい。そのメリットが厳存するかぎり、終身雇用も存続するのは当たり前だ。してみれば協力隊の発展は、基調としては終身雇用制を前提とし、その前提でシステムを考案していくことによってしか期待できない。そして、この発想の下に現在までにできあがっているのが、いわゆる〃現職参加〃のシステムで民間の例で説明すると、つぎのようなものなのである。

 1 職員一名を有給(五割)休職にして一年間これを手放すばあいの、企業の損失を三種類に分類する。

  a 本人に支払う直接人件費(payroll)
  b パー・ヘッド総掛り経費(over head)
  c 得べかりし利益(本人寄与分=コンサルタントに関する建設省基準でのfeeに見合うもの)

 2 右の中、aと、bは国が損失を補填し、Cは企業の負担とする。

 3 企業にも負担分を立てたのは、企業が社員研修の効果を受益すると考えられること、奉仕事業への人材提供を企業利益の社会還元と見立てうること、の二理由による。

 国の側でこのシステムを発足させたことは、協力隊発展のうえで大きい布石だといわなければならないが、問題は、企業の側の受け皿が整うかどうかである。受け皿というのは、休職関連規程の手直しということになるが、この労を組織体としてとることはなかなかのことだとみえ、まだその実例は寥々暁の星のごとしというのが実情である。

 終身雇用の形で雇用関係を維持したまま海外奉仕活動に従えるように、という右のシステムは、若年層のあり方の問題にからんで、企業その他の雇用者、および国民が、もっと真剣に考えていいことだと思う。

 新しい日本の青年像

 国家と青年が、今日の日本ほど疎遠になっている国があるだろうか。

 いまでも大多数の国では、国家の危急は、ただちに青年の身辺を緊迫させる。〃老と壮〃でなくて〃青〃が国を守るからだ。しかもこのことは、〃青〃が自ら知るのみならず、社会がその〃通念〃として了承している。青年の奉仕が、大きな比重で国の営みのなかに織りこまれているのだ。そういう精神風土のなかでなら、祖国を守るかわりに、青年のエネルギーが海外奉仕に向かっても、すこしもおかしくない。海外奉仕を志望している青年を変わり者扱いしたり、よってたかって思い止まらせようとすることもそれほどあるまい。

 日本の雇用者層、さらに広く国民に訴えたいと思うのは、もう一度、社会とか、国家とか、人類社会とかいうもののなかでの青年の役割―青年時代の役割―を考えて欲しい、ということだ。〃第三世界〃での国づくりに二年の青春を捧げようとする青年が、企業や組織体からはじき出されたり降格されたりせずに、終身雇用社会で正常コースを歩めるような配慮がほしい。将来の問題としては無医村、離島など国内面でも、一年、二年の奉仕活動が、本人のキャリアを損なうことなくできるように考えてほしいと思うのである。

 昭和五十一年の四月「協力隊を育てる会」が発足した。まさにこの呼びかけのためである。いろいろなことが定款に書いてあるが、その基軸となるものは、とくに雇用者の理解を深めて志望者の協力隊参加を容易にするという、具体的な世話活動にほかならない。

 知る異民族の心

 国と青年、人類社会と青年、ということを取りあげた機会に触れておきたいことがある。

 青年期の奉仕には、献身一方でなく、献身行為を通じての人間形成が期待される。協力隊でも、十年を越えるその歴史のなかで、もっとも確実だったものは、副産物ながら、人間形成上の成果であった。

 その点にすこしくわしく立ち入ってみよう。まず彼らは、〃広い国際的視野〃をそれほど涵養してはいない。彼らの得てきたものは、そのようなバタくさい言葉になじまない。異民族の心を理解する素地を深めてきたのだ。価値の多元性に開眼したのだ。おそらく日本的価値の再発見への緒もそのなかでつかんできているであろう。

 協力隊には〃下放〃の要素があって、それだけでも青年の人間形成に役立つのだが、行くさきがたんなる僻地や辺境でないところに独得の意味が加わる。異人種、異言語、異文化のなかでの体験だからだ。東南アジアにおける反日感情が火を噴くごとに、
「いま日本人に欠けているのはなにか」
 ということが問われる。こういう面から国の前途を考えるとき、異国の人々とその生活文化を理解しうるかどうかが、どれほど日本人にとって大きな意味を持つことであろうか。協力隊における人間形成は、実にこのこととつながっているのである。

 〃落ち着いた二年〃を支えるもの

 協力期間を二年としていることは、大きい〃ひずみ〃を協力隊のシステムに与えている。しかし、はじめからそれを三年にしたり、五年にしたりするなら、協力隊はしょせん〃協カプロ〃のものになってしまうにちがいない。ボランティア活動として国民的基盤を構築しようとしている現在の目標は、ふっとんでしまうであろう。してみれば二年ということから生ずるいろいろの無理やひずみを是正し、おなじ二年をより有効なものにするよう工夫していくしかない。それが協力隊を挙げての課題、〃二年との問い〃なのである。

 途上国での協力活動ほど、あわててはいけない仕事はないのに、それを二年でやれ、という。真面目に考えたら、あわてざるをえないではないか。大きい矛盾だ。しかし協力隊がこの矛盾をかかえて進むしかないなら、この矛盾をすこしでもやわらげるしかない。

 無理を知りつつ、日本を出るまえに慌てられるだけ慌て、急げるだけ急ぐのだ。それが向こうへ行ってから落ち着いてやれる素地になる。力をつける話なら一つでも多く、日本を出るまえにやっておく。できることならなんでもくりあげるのだ。そして繰り上げられるもののなかで、もっとも効き目のあるのが言葉である。

 訓練修了時の水準を、可能な最高までにあげる。そのため、訓練は、もっとも集中的かつ厳しいものにする。げんに四力月間の語学割当時間数は四一○時間で、高校三年間の英語の総時間を上回っているのである。

 そういう訓練を、より効果的ならしめるため、さかのぼって選考試験での合格水準線をできるだけ高めにし、志望者の事前の自助努力を避けられないものにする。協力隊でいう〃持続する情熱〃という言葉は、そもそもはこの選考前の自助努力のために作られたものなのである。言葉に弱いことは技術系の人々に共通した弱点である。この弱点に挑む〃語学試験〃は、実際のところ語学のテストであるよりも情熱の持続性をテストするためにあるといっていいくらいである。

 技術試験の徹底していることは、世界のどの国の海外ボランティアにもその比をみない。〃実際の役に立つボランティア〃として受け入れ国で好評なのも偶然ではない。それでも実務経験年数の点では、部分的に、まだ〃甘さ〃が反省されているところだ。

 猛訓練といい、厳重選考といい、いずれも、切実な〃二年との問い〃の展開する局面なのである。

 言葉や技術ほどではないにしても、最近著しく比重を増してきたものに社会人類学の素養がある。協力隊の〃哲学〃やルールの理解も重要だ。日本出発前に身につけておいたほうがいいことは、やまほどある。本当に〃ニ年に賭ける〃なら、その姿勢で準備の段階から取り組むべきだ。協力隊全体としても、繰り上げ施策の余地の発見に、もっともっと真剣になるべきであろう。その機構、その予算、そのルール、すべては

「若い隊員が二年でなにをなしうるか」

という中心課題に向けられていなくてはならないのだ。

 単身赴任のルール

 協力隊に参加するには妻帯者であってもさしつかえない。さしつかえないどころか、妻帯者くらいのほうがいい仕事ができるといっていいすぎではない。げんに、妻帯者の協力隊参加を容易にすべきだ、という考え方が、協力隊ではかなり強い。そのなかで単身赴任のルールが、協力隊内外の論争を経ながら生きつづけているのは一見して奇妙である。賛成論と反対論が渦巻いていてそのどちらにも理がある。正しい、正しくないの話ではなくて、きわどいところでの選択の問題といっていいであろう。

 単身赴任のルールを支えているのは、隊員を待ち受けている生活が、通常の今の日本人ではとても二年は持たない厳しいものだという現状認識である。

 その厳しさのために妻が現地でついていけなくなる。

 その妻を引っぱっていく隊員の精神的負担が増大する。

 二年しかない協力期間の全力投球がおぼつかなくなっていく……。

 この種の想定が、すべての妻同伴ケースにあてはまるということではなく、妻に励まされて夫が立ち直る場合だってありうるわけであるが、問題はケースごとの審査が容易でないところにある。こういうことから結論的には、民衆を指向し、奥地前進を標傍する協カ隊は、単身赴任の可能な人だけで構成されているほうが、その体質に合っていると言うことに落ち着いているわけである。

 協力隊を育てる会の誕生

 協力隊にたいしては、これを青年の運動として展開せよ、という強い要望が存在しつづけてきた。財を天下に集めて年々の所要資金(現在では三十余億円)を調達できるほどの運動体はもちろん構想できない。しかし、全国的に共鳴者の輪を拡げ、理解者の層を厚くしていくことは必要であったし、とくに全国公募制を支える運動を協力隊は必要としてきた。だがこのことが実は容易でなかったのである。

 協力隊参加に、雇用慣行上の厚い壁のあることから、青年だけの連動では有効なものになり得ないという事情も加わっていた。こういうなかで、やっとの思いで生れ出たのが、先述したように老壮青の連携プレーで世話活動を展開しようとする「協力隊を育てる会」の運動である。

 地方活動を主軸とするこの運動の前途には、厳しい試練が予想される。しかし、〃社会体質〃の壁は、やはり〃運動〃によらなくては破りえないのであって、〃育てる会〃に期待されるところはまことに大きいといわなくてはならない。

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