高知から見る東アジア 2015年1月23日夜学会の内容
一昨年、土佐山アカデミーに3カ月参加して、自由民権時代の高知に夜学会というものがあったことを知った。西川という集落に今も和田三郎邸が残っていて、山嶽社という夜学会が夜な夜な開かれていた。
「こんな山の中で大人の学舎があったのだ」という感慨があった。その後調べてみると、高知県に反政府系の夜学会が150カ所、もちろん政府を支持する夜学会も あって、その数50。併せて200カ所もの夜学会があった。年間365日だからほぼ一日おきにどこかで夜学会が開かれていたのだから、そのエネルギーはす ざましかったと言わざるを得ない。
先週、金曜市で露店を開いていたところ、ケーナ吹きの村島さんが空き店舗で人を集めて音楽をやってい て楽しそうだなと思った。ひらめいたのはその空き店舗で夜学会を開いたらどうだろうかという思いだった。商店街の理事長の山本さんに相談したら、「どう ぞ」ということになって、今夜の開催となった。
まず僕が現在、危機感を持っているのは日中韓の仲違いである。売り言葉に買い言葉、特にネット上ではあまりに穢いのの知り合いが始まっている。僕は少年 時代を人種差別国だった南アフリカのプレトリアで過ごした経験から、世界平和のためには民族間の融和が不可欠であると考えてきた。
民族間の融和は口で言うのはたやすいが、人々の心の底にある差別感や憎悪を打ち消し去ることはなかなか難しい。司馬遼太郎さんは小説『菜の花の沖』で愛国心について語っている。
「愛郷心や愛国心は、村民であり国民である者のたれもがもっている自然の感情である。その感情は揮発油のように可燃性の高いもので、平素は眠っている。それに対してことさら火をつけようと扇動するひとびとは国を危うくする」
『菜 の花の沖』は江戸時代の淡路島を舞台に水夫から身を起こして、蝦夷地と上方とを結ぶ大回船問屋に発展させた高田屋嘉兵衛の一生を描いた小説だから、愛国心 というよりは愛村心のことで、村と村はいつもいがみ合っていて、争いを扇動するひとびとがいつもいたということを書いた上で、国と国の関係にも似たような 状況で戦争が起きてきたことに反省を求めているのだと思っている。
司馬さんはまた小説の中で嘉兵衛に「他国を謗(そし)らないのが上国だ」と語らせている。なかなか含蓄がある。中韓が日本を謗り、日本が中韓を謗る。いま東アジアでそんな構造が生まれている。
小泉純一郎が首相だった時、毎年、靖国神社を参拝し中韓から批判されていた。最初は馬耳東風とばかり、反応しなかった小泉首相がある時「外国政府が心の問題にまで介入して外交問題にしようとする姿勢が理解できない」と語った。
朝日新聞は翌朝の社説で「私たちこそ理解できぬ」と首相発言を問題視した。その朝日新聞の論調にさらに噛みついたのが産経新聞だった。産経抄は「読み返す ほどに身震いがくるような内容」と怒りをあらわにした。「『全国の新聞が・・・・・・』というのは誤植ではないかと何度も読み返した」「『私たち』とは誰 なのか・・・・・・」とほとんど煮えくり返る思いのたけをコラムにたたきつけた。
どっちもどっちだ。中韓におもねるほど非国民にはなりたくはないが、だからといってこんなことで愛国心に火をつけられてはかなわない。期待としては日本はアジアの「上国」でありたい。もちろん「上」は上下の上ではない。品性と言った意味合いである。
僕は学生時代から、アジア主義者だった。つまり反欧米主義である。欧米列強がアジアに来るまでアジアは平和だったとまでは言わないが、300年にわたり世 界を支配し収奪した罪は大きい。幕末の尊皇攘夷もまた、欧米列強による日本支配への警戒から始まったはずだった。アジア諸国が相次いで欧米の軍門に降る中 で、日本だけがかろうじて独立を維持した。日露戦争の勝利は欧米の桎梏から逃れようと戦っていたアジアの指導者たちを大いに鼓舞したに違いない。
だがアジアで日本に続く勢力は生まれなかった。その後の一世紀、貧しいままのアジアが続き、日本はいつの間にか欧米勢と一緒になってアジアを侵略する側に 立っていた。欧米に立ち向かった日本に対して大いに誇るものがあるが、その後の日本の姿勢には共感できるものはなかった。
そのアジアがようやく経済的に立 ち上がってきたのが1980年代後半だった。アジアが世界の工場となり生産性を向上させ、人々の生活にまで及び始めた。僕は経済部記者として取材する価値 のあるテーマだと考え、アジア経済取材班を共同通信社で立ち上げた。アジアの経済的自立は僕にとって大いなる喜びだった。経済学者、大来佐武郎はそんなア ジアの経済を「雁行形経済」と命名した。日本が先頭に飛び、韓国、台湾、香港、シンガポールのNIESが後につながり、その後にASEAN,中国が飛ぶ。
まさにそんな時代があった。アジアが豊かになれば、争いがなくなっていく。国の指導者は軍事よりも経済に力を入れれば、そんな時代がやってくるものだと思っていた。
しかし、現実は甘くはなかった。豊かになった国ではそれぞれに愛国心が持ち上がってきた。特に中国と韓国では反日感情を煽ることで愛国心を高めることが”国策”となった。確かにそうかもしれない。経済発展もまた一つの国威発揚の手段となるのだ。
僕が夜学会を始めた理由のひとつは、なんとか日中韓の軋轢を融和するような発想をみなで発信していきたいと考えたからである。
自由民権運動は、もともとは藩閥政治に対する反発から始まり、政府に立憲政治を求める運動に発展した。その過程で「自由は土佐の山間より出ずる」という言葉 を生み出した。産声を上げたのは高知の地である。自由にものを語り、主義を主張するという藩政時代にはなかった風潮が突然、高知の地に生まれ、燎原の火の 如く全国に広まった。全国の自由民権を求める牛耳が高知にフォーカスされた時代だった。
どういうわけか多くの運動家、思想家を輩出することになっ た。僕はその根底に夜学会があったのだと考えている。はりまや橋夜学会はそんな高知の伝統を復活させるルネッサンス的試みである。「自由は土佐の山間より 出ずる」というスローガンをいま一度掲げる時が来たと思っている。そして東アジアに豊かさと寛容を両立させる運動も高知から発信させていきたい。どうぞご 支援をよろしくお願いします。(伴 武澄)