2006年10月ムハマド・ユヌス氏のノーベル平和賞の受賞や、北海道の約1・9倍の国土に約1億5000万人が住み、人件費の安さに加え、人口密度が高く、労働者を集めやすいことで2000年代後半から日系企業の進出が進み一躍脚光を浴びるバングラデシュ。
 そのバングラデシュで、子どもが記事を書くというとってもユニークなベンガル子ども新聞の編集長・発行者であるシャーカー・プロビール・ビカシュ氏に日本とバングラデシュの歴史や文化について伺った。

 ―これまでどのような活動をされてこられましたか?
 1984年に来日し出版社や印刷会社で働いて編集の技術を身に付けた。子どものためのメディアを作ろうと07年にバングラデシュで子ども新聞作りを始めた。小中学生が記事を書く新聞として大きな反響があったので、11年、再びバングラデシュに戻り本格的に発行した。各小中学校に投稿箱を設置して子ども達から記事を投稿してもらい、編集は全て自分で行っている。
 子どもが原稿を書く際、大人に話を聞いたり、書物を読んだりするので、子どもの成長に貢献している。財源の問題があり、現在は就き1000部の発行に留まっているが、政府の公認も得たので来年からは1万部に増やしたい。
 もう一つは05年に我妻和男先生と知り合ったことをきっかけに、アジアで初めてノーベル文学賞を受賞したタゴールを研究している。タゴールと日本の関係はとても深い。膨大な資料が日本にあるが、日本ではあまり研究されていない。この二つをライフワークとして日本とバングラデシュを行き来している。

 ―今年はどんなことをしたいですか?
 今年は岡倉天心の生誕150周年、没後100周年に当る。岡倉天心といえば『茶の本』、『日本の目覚め』、『東洋の理想』です。『The Book of Tea』は米国で発行され、西洋人に東洋の考え方、文化、哲学などを知らしめるなど大変な影響があった。
 当時アジアを世界に広めたのは日本人の岡倉天心や頭山満、渋沢栄一などであった。その様なすばらしい日本人がいたことを日本の若者はもっと学ぶべきだ。そろそろ日本人が眼を覚まさないと日本の将来がどのようになってしまうか心配だ。
 ―日本とバングラデシュの関係をどのようにすべきとお考えですか。
 日本政府は1971年の独立以来、ODAなど大変支援していただいている。しかし、国民の意識が変らないと本当の意味の発展にはならない。精神的な面と経済的な年の両方の発展が必要だ。現在バングラデシュに日本の文化センターがないので是非作って欲しい。日本のすばらしい文化を通じてバングラデシュの国民は文化に興味を持ち、そして時刻の文化にも関心を持つことになるだろう。
 現在子ども達の多くが学校に行きようになっており識字率も上がってきている。日本とバングラデシュの関係は文化や経済交流を通して大きく発展できると期待している(平成25年2月6日=FECニュース3月1日号「アジアの風」から転載)

【シャーカー・プロビール・ビカシュ氏】チッタゴン大学歴史学部課程の途中で政情不安のため来日、その後日本の出版会社で勤務、拓殖大学日本文化研究所付属近代研究センター客員研究員を経て、現在はベンガル語タブロイド版月刊子どもしんぶん「キショロチットロ」編集長・ベンガル語法定通訳士。