豆満江開発一極東新フロンティア 1992年6月メモ
OASYS00ト17 1/8 更新1995年4月2日22時3分
環日本海経済の開発拠点として浮上している豆満江(中国名・図們江)流域を視察、さらに平壌での豆満江流域開発『平壌国際会議』を取材する機会を得た。豆満江開発は、北朝鮮とロシアの国境地帯を国際的に共同開発、香港のような河口貿易・物流基地にしようとする試みだ。今回初めて、日米韓の西側民間人と中国、ロシア関係者に開放された。ベールに包まれたこの地域が将来本当に開発されるのか、その現状と展望を紹介する。
▼豆満江五族共和列車
1992年4月29日午後2時、掃き清められた平壌駅を11両編成の緑色列車が走り出した。緑色のボディカラーに2本の黄色のストライプが入った客車は中国の寝台車と外観が同じ。日本、アメリカ、韓国、中国、そして北朝鮮の人々約200人を乗せ北朝鮮が、昨年末設置した経済特区『先鋒・羅津自由経済貿易地域』視察を目的とした特別列車だ。同じコンパートメントには朝鮮国際問題研究所の若手研究員李革(リー・ヒョク、32歳)が座る。
新潟市にある日本海圏経済研究所(藤間丈夫所長)が内外に呼びかけた訪朝団で、「日本人70人、アメリカ人20人。韓国人18人が名古屋空港から朝鮮民航機のチャーター便に乗り込み、平壌で中国人、北朝鮮側と合流した。
平壌から目的地の豆満江までは約700キロ。20時間の汽車の旅である。行き帰りには日本海に面する先鋒(旧雄基)羅津、清津など港湾都市も視察した。
北朝鮮としては西側の人型経済ミッションを迎え入れるのは初めて、西側の人々に首都圏以外の地方を開放するのも初めて。特に日米の報道陣に対して国境地帯である北部地域を見せたこともかつてない。われわれのミッションを受け入れたこと自体が北朝鮮の経済開放に向けた並々ならぬ決意を示すものであった。
▼自由経済貿易地域はまだ原野
5月初旬の豆満江デルタは湿地帯に点在する灌木にようやく新緑が芽吹き始めていた。後背の伸びやかな丘陵には鉄道と国境線に延びる電刺鉄線以外は視線を遮るものはない。川幅200メートルの豆満江に薄緑色の鉄橋が横たわり、北朝鮮の豆満江駅とロシア側のハサン駅と4本の線路がつないでいる。
豆満江駅へは朝鮮半島の最北の駅である。同時にユーラシア大陸への人口でもある。この国境の駅には貨物便を含めて1日12本の列車が行き交う。
しかし豆満江開発は、北朝鮮経済をかつての社会主義諸国だけとの関係から日本や韓国などアジア諸国との関係強化へ転換する象徴的地点となっている。李聖ピル駅長は『この鉄道はロシアを経由して西ヨーロッパともつながっている』と顔を紅潮させていた。
豆満江から海づたいに南約40キロに先鋒(旧雄基)、羅津という港湾があり、さらに100キロ行くと港湾都市、清津がある。戦前には日本から旧満州への上陸地点のひとつだったところで日本人も多く住んでいた。先鋒は原油輸入港で、原野の中に20万キロワットの火力発電所と石油精製基地があり、清津は50万人ほどの人口を抱える製鉄、石油化学など重化学工業都市でもある。しかし清津を除けば特区内は貧しい海沿いの農村地帯というが正直なところだ。
北朝鮮政府は昨年末、この地域一帯を『自由経済貿易地域』に指定した。中国流にいえば資本主義をかたくなに拒否し続けてきた北朝鮮にも特区第一号が誕生したということだ。中国広東省の深圳市経済特区をモデルに『世界中のどこの特区よりも投資に有利な仕組みを作る』と政府関係者は胸を張っている。
豆満江開発国際会議で、北朝鮮対外経済協力委員会は42億ドル(約5000億円)かけて特区内のインフラ整備をするビッグプロジェクトを説明した。3つの港湾の取扱量を10倍の年間1億ドルに拡充、中国、ロシア国境をつなぐ環状の鉄道、道路を整備する。この中には国際空港の建設も含まれていた。
しかし問題はこれから。特区内には古ぼけた港湾と鉄道があるだけで、企業誘致のための工業団地はおろか道路、通信など基本的施設の整備は一切進んでいないのが現状。平壌での『国際会議』では外資導入のための税制など経済関連の法制度も『現在整備中。今年後半には発表できる」としていたが、これまで資本主義の導入にまったく経験がないだけに時間がかかりそうだ。中国でさえ10年以上かかってもそうした環境整備が十分とはいえない状況なのだ。
当面は現在ある港湾や鉄道を活用て中国やロシアとの中継貿易に力を入れることしかないというのが視察団に参加した多くの人々の印象。ロシアから清津まではロシアの広軌鉄道が引かれ、中国束北地方の穀物を輸出するための設備は一応整っている。
▼意欲を示した韓国代表
今回の視察で特徴的だったのは北朝鮮が経済的開放に向けて驚くべき変化を示したことだった。金達玄副総理は『社会主義国はあと2、3しか残っていない。社会主義の市場がなくなってしまってもはや北朝鮮の物資を社会主義国に輸出することも、原油や資源を輸することもてきなくなった』と同国が抱える経済的苦悩をあまりもに率直に披露した。
朝日友好親善協会の幹部も「平壌のきれいな部分だけでなく貧しい農村もみてもらいたい」と言った。これまで金日成主席礼讃と外国人向けを意識したマスゲームなど数々の演出にへきえきしていた西側ジャーナリストにはこうした北朝鮮の幹部の肉声は新鮮に驚いた。
北朝鮮の姿をありのまま見せようとする姿勢は特に韓国人の共感を呼んだ。18人もの韓国経済人が一度に北朝鮮に足を踏み入れたのは今回が初めて。それぞれが個人ルートで参加を申し込んだということだったが、貿易から港湾、建築、環境、法律までそれぞれの専門家が一同にそろったのは決して偶然ではない。
まず北朝鮮が一度に18人もの韓国人を受け入れたのは初めてで『今回の会議での南北交流になみなみならぬ姿勢を示したものだ』と北朝鮮の態度変化を一様に高く評価していた。
平壌国際会議で際立ったのが韓国メンバーの積極性だった。民間レベルとはいえ民族統一問題の専門家に加え、それぞれの分野でのトッブレベルの専門家が参加、学術的傾向に陥りやすい会議をより実際的な議論へとリードした。
会議では北朝鮮の新たな経済特区政策に対して中国とロシアがそれぞれの港湾施設の重要性を強調するなど領土や主権問題など意見調整が難航するなかで『地域発展のためには3力国の技術協力のためのセンターが必要』と主張、会議の推進役を買った。
またコーヒーブレイクでは88オリンピックや太田万博のコーディネーターを経験したある団員は『国際的人材を育てる新村を北朝鮮の経済特区のなかに建設してはどうか』と提案していた。
柳荘熙対外経済制作研究院院長を代表とした18人は名古屋で日本代表団に合流して北朝鮮入りした。しかし、当初は『なぜ陸続きなのにわざわざ日本を経由しなければいけないのか』と板門店経由の北朝鮮人りを要求した。
『国際会議』でも韓国メンバーの積極発言が目立った。投資環境の未整備を問題視する日本側や同じ豆満江でも自国側の開発を優先するため北朝鮮の特区開発に冷淡だった中国、ロシアとは対照的に『北朝鮮の労働力は訓練されたうえに賃金も安い』と投資メリットを強調したり、「中国の改革開放で果たした華僑の役割を北朝鮮で韓国が果たすべきだ』としきりに血緑関係を訴える考え方も示された。、
会議でのやりとりを聞いていると、政治対立を乗り越えられず実りのない話し合いが続いている南北首脳会談とはまったく次元の違うエール交換が行われているという印象だった。
北朝鮮の自由経済貿易地域の成功の可否はもちろん北朝鮮自身が今後どのように開放経済に柔軟な姿勢を取るかにかかっているが、こうした韓国の加勢も見逃せない。いずれ南北首脳会議などの場でもこうした北側の地城開発問題も俎上に上るに違いない。
▼朝鮮民族の血のつながり
韓国企業は80年代後半に多発した労働争議や賃金の急上昇をきっかけに、安い労働力を求めて山東半島など中国沿岸部に進出した。香港やアメリカに現地法人を作って進出したが、国交もなく非合法な経済活動だった。最近では北朝鮮の北側の中国吉林省の延辺朝詳族自治区への中小企業の投資が盛ん。
決して投資環境がいいとはいえないが、同じ言葉や習慣を持ついわゆる『民族の血のつながり』がこうした投資行動に走らせている。
豆満江の名は、この川が霊峰白頭山を水源にするだけに朝鮮民族には特別の響きを持っている。豆満江開発のキーパーソンの一人であるアメリカ・ハワイにある東西センター副理事長の超利済氏は豆満江の岸辺に立って『豆満江を対立の川から平和と経済協力の象徴にしたい』とつぶやいた。
北朝鮮が西側世界に受け入れられるまでには、核査察問題や対外情務の未払い問題など解決すべき政治的、経済的課題が少なくないが、北朝鮮が経済的危機の瀬戸際に立たされ、固い社会主義の殼を割って西側に経済を開放するというサインを送り姶めたことは確かだ。
▼150人のためのマスゲーム
メンバーのほとんどが北朝鮮に対する知識は白紙であった。今回の訪朝は環日本海経済開発拠点のひとつとされる豆満江デルタを実際に見ることが最大の目的だった。北朝鮮の政治が金日成主席を中心とした労働党独裁体制によって人民生活は相当疲弊しているだろうことはある程度予想していた。
この旅の印象を述べるならば『貧しさのレベルにおいては相当なものだが、草の根をかじるような生活を余儀無くされているといった多くの記述はあまりにも偏っているのではないか』というものだった。
もちろん行く先々でわれわれが目にする光景が政府によってある程度、「脚色」されたものであったことは認めざるを得ない。われわれがバスで町を通過するとき、道行く人々がネクタイを締め、あるいはチマチョゴリで着飾ている様はどこへ行っても同じ。バスの通過時間に合わせて演出が行われているのではないかという印象はミッション参加メンバーの共通した認識となった。
また、たかだか150人の外国人ミッションのために急遽、金日成スタジアムに10万人の児童学生が集められ有名なマスゲームを披露してくれた。一矢乱れぬ演技にうっとりするというよりも、なぜ平壌市の学生の半分近くを動員してまで外国人を喜ばせなければいけないのかという疑問が先立った。
集団主義を厭う傾向の強いアメリカ人記者の多くにとって『これほどのエネルギーをなぜ学習や生産に注ぎ込まないのだろう』との批判の方が強かったようだ。
【農村風景】トウモロコシとコメの作付け比率は六対四という実感だ、農地に石が転がっている状況は日本の農村風景は比べるべくもない、、中国華北地方の農村より貧しい印象を得た。北朝鮮側も『地実は悪く化学肥料なくしては実りを期待できない』と打ち明けた。これをすべて北朝鮮の政治の責任にするのも酷のような気がした。山がちな地形を段々畑に開墾した努力は評価する必要があるが、もともと山に樹木が少ない土地柄だけに大雨による洪水が恐い。
農村地帯で奇妙なテレビアンテナが乱立している。金属の素子が木枠が乗っかっているだけだ。一説によればアンテナなどという代物ではなく単なる張りぼて。しかしわれわれが旅行した700キロにもおよぶ広範囲の地域に張りぼてのアンテナを張り巡らすほどばかばかしいことをやるのだろうか。ここは相当程度テレビが普及していると考えてもいいのではないだろう。
神武天皇ではないが、農村の早朝、民家の煙突から煙が立ち上る風景はホッさせるものがある、。
日本海を朝鮮では東海と呼ぶ。朝鮮半島を縦断する山脈を抜けて東海に出ると沿線の風景にも明るさが増す。ただ農家の建築様式はとこまでいっても変化がない。レンガの壁にスレート瓦葺き。屋根の先が上向きに曲がる朝鮮様式の農家は一切なくなっている。
【購買力】北朝鮮の食料政策は『基本的に働かざるもの食うべからず』と厳しい。穀物の配給は労働者1日1人700グラム。老人は600グラム。子供は年齢に応じた配給があるという。北朝鮮のガイドによれば『こんな量は食べきれないから余った穀物ぱ”集買”してくれる』ことになっている。また配給の中身は『全部コメで、雑穀は混ざっていない』というがこれは疑わしい。北部朝鮮の作付けのほとんどはトウモロコシだったし、一部ではアワ・ヒエなど雑穀も植えつけていた。
住宅政策に対する北朝鮮政府の説明はあまりにも現実離れしでいる。最近できた幸福街の高層アバートの住宅面積120-150平方メートル。特別、国家への貢献があったスポーツソ選手や芸術家には7DKKや10DKの住宅があてがわれるという。『面積は年々拡大している。70年代は100平方メートル、それ以前は50平方メートルだった』と住宅政策の拡充をことさら強訓していた。
家賃は電気、水道料込みで月収の0.3%ち桁外れに安い。ガスはそれぞれがボンベを購人する仕組みでガス管は各家庭にまでは引かれていない、。
朝鮮国際問題研究所の研究員である李革(りー・ホク)さん(32)は5月4日に予定していた結婚式を延期してわれわれの視察団のガイド役を買って出た。
将来の奥さんは金日成総合大学の経済研究所に努める25歳に才女。「結婚後の生活に備えて統一路のアパートの入居証をもらった。しかしこのアバートは100平方メートルと広すぎるので80平方メートルの部屋と交換するつもりだ」。
「結婚式の費用は300ウォン程度を予定している。2人の1カ月の月給分かな」。かっては盛大に結婚式を挙げる習慣があったが政府の指導で質素になりつつあるという。逆に2人の時間を大切にするということから新婚旅行にははずむ傾向が強い。「われわれは金剛山の休暇村で1週間滞在する予定にしている」「子供は2人か、3人ほしいが、彼女が1人といえばそれでもいい」
人気タバコの『クルホール』(蜂蜜)はフィター付き20本入りで50チョン(約30円)。酒は蒸留酒が中心だが、大体1本2ウォン(120円)、ビールは500ミリリットル人りが40-50チョン、外国人向け高級ビール『リョンソン』(竜城)が人民の口に入ることはほとんどない。。
労働時間は6-14時か、8-16時のシフトが一般的。午前8時前後の出勤ラッシュ風景はどこに国でも同じだが、中国で見る大河の流れのような自転車による出退勤の風景はまったくみられない。平壌でも農村部でも自転車そのものの存在を目にする機会が少ない。北朝鮮側は『公共交通機関が十分発達しているので自転車を持つ必要はほとんどない』と説明。北朝鮮を何度か訪問している日本人記者は『自転車すら買えないほど貧しい』という。国内で自転車をあまり多く生産していないし、輸入には外貨不足しているのが実情ではないだろうか。
労働者の月給は、ことし4月15日の金日成首席の80歳の誕生日を記念して50%上昇したが、物価の方も同程度アップしているから実質所得は変わっていない。平均して180ウォン(約1万円)程度といわれているが、そもそも物不足の社会で衣食住以外に浪費するチャンスはあまりない。このため『収人の4割程度は貯蓄している』人が多い。
▽金達玄副総理記者会見
Q:経済特区をなぜ提起したか、政策を転換したのか。
A:特区設立は時代の要求。冷戦時代終わり、社会主義市場はなくなった。社会主義国は2、3国しかない。人民生活も向上させなければならない。したがってわれわれは転換した世界の趨勢とあらたな市場の必要性を考慮して三角地帯つまり羅津先鋒地区に特区を設立しようとするプランを立てた。投資しようとする利害関係者を持続させる必要がある。特区に投資する人の願いを実現させる方向で法律を改正したい。特区には共和国全地域に適用される法律だけでなく、この特区だけに適用される特別法を作ってこの法律の範囲のなかで外国投資を奨励したい。これが政策の変化を示す物かと言う質問だが、これが賢明と思ったから設立するのだ。時代の要請に則してやった。特区を作ることで経済を自立させ、孤立した状態で生きるために自律的に民族経済を解決する必要があった。特区設立はいままでの路線から脱するわけではない。投資希望する人は投資してほしい。韓国の人も歓迎します.。
A:豆満江に共同で特区成立も議論された。各国が各々特区を作って管理しながら調整する方法もあったが、今のものが最も合理的だと思う。ソ連とか中国、われわれが政策面でも、発展段階も差がある、したがってわれわれは3か国が各々経済主体を作って、お互い連携をもって調整し、近い将来、合流することもできるでしょう。3つの国が意見を交わして一つの貿易地帯を作るのは難しいと思う。しかしわれわれは最近、北京でのESCAP会議に出席し、開発銀にも参加しようとするつもりだ。
Q:合弁は成功するのか。
A:現在、100の合弁企業がある。ジャーナリストにはわれわれが合弁で成功するということを信じない人々が多い。投資する前に成功できるか疑う人が多い、100の合弁企業ができたといってもわれわれは第一歩を踏み出したばかりだ。将来的にみれば初めてにしてはスムーズにいっている。特区設立以外の他の地域の合弁も奨励します。合弁企業に対する管理も改善したい。
Q:なぜ羅津地区なのか。
A:まず羅津に特区を作ってそれがうまく行けば他の地域にも特区を作ることができるでしょう、南甫地区にも、元山も同様だ。観光のための特区も作ることができるでしょう、だから豆満江流域の特区がうまくいけばほかの地域にも特区を作ることができるでしょう。
Q:環境問題について。
A:我が国には工場が少ない。工業で公害がまだ解決していないところもある。これらに対ずる措置をとっている。特区の工場に対しても環境保護対策を講じたい。
Q:特区の待遇は。
A:特区のビザも問題、自由往来、税制の優遇措置。企業家への優遇措置をとりたい。具体的にはまだいえないが、今年中に法律を発表したい。
Q:北朝鮮の経済実態は。
A:答えられる範囲で答えます。我が国には経済破局はありません。隘路と感じておりますが、同じ社会主義国をやっていた東欧が経済的破綻をきたしているが、わが国の7カ年計画はスムーズに行っています。そして経済的な数字に関しては短い時間には答えられません。私も具体的には答えられません。
Q:経済的な難関。
A:直面している経済自由化によって社会主義の市場がなくなりました。今まで我々は社会主義市場のなかで貿易を行ってきました。我々が必要とする原油や原材料などは社会主義の市場から買ってきました。またこれらを購入するために我々の輪出物資も出しました。このような社会主義の市場が早いうちに無くなりました。いままで社会主義市場に輸出していたものが輸出できずにいます。社会主義諸国から買っていた原油など物資も輸人していません。これがわれわれが直面していま経済的難関です。しかしこのような難関も昨年が一番厳しかったのですが、今年からは大分良くなりました。来年はもっと良くなるだろうと思います。社会主義市場で行ってきた貿易を今後、資本主義国とやろうとしていますが、そのためにも羅津、先鋒地区に特区を作り、こういった積極的な経済を国際化する方向で進むのが我々の制度を守り、生存するために必要なものだと思います。
Q:北朝鮮が抱える対外債務について。
A:これまで70年代の外国に対する債務を持っています。一部の工場が外国から入ってきました。そこから生産した製品を以て支払いができるだろうと思っていましたが、それがうまくいっていません。しかし我々はこの過程を通じて外国に対する外国からの投資はどのように、外国に投資した企業はどのように運営し、それから出る債務をどのように返すかということもよく分かるようになりました。借金があります。しかし社会主義的な市場がなくなり、新しく陣痛をなめています。でも債務は必ず償還します。問題が起きたのは社会主義市場の崩壊のおかげです。われわれは援助はいりません。債務を理解してほしいのです。一部の国には借務を返還しています。これは必ず返します。社会主義のなめている難関を理解してください。必ず債務は精算したいと思います。
Q:数年から延期申し入れている、いくつかの債務状態はどうか、経済的難関はどのようなものか。
A:われわれがいままで外国に輸出していたものが減っていますが、食べるとか着る問題はない、外国債務に対する債務は10億ドル、今交渉中だ。当該機関がしるべきで我々は知らない。我々はお金の計算にちょっと鈍い。社会主義の欠陥はお金の計算に疎いのである 資本主義諸国と交渉して行かなければならないので、このような問題は解決しなければならない、そっちょくな話で外交ではない。
Q:
A:われわれが建築物を建設し、記念行事を行うのは当然だ、お金が足りなくてもやらなければならない、経済的均衡だけでなく、社会的均衡もみなければいけない。、青少年を教育し、人民を教育しなければいけない しかし資本主義社会では物質的に豊かだが、麻薬とか暴動が起きている。社会悪が存在している。われわれは品物は不足しているがお金が足らなくてもこうした行事をやり、青少年を教育し、人民を教青するから社会悪は存在しません、だからこういった面でお金を適切に使ったといっていいでしょう。
Q:中国の深圳を目指している?
A深圳よりも素晴らしい特区を作りたい。どうすればいい特区がつくれるかは今研究中です。これといって深圳のような特区とかいえない。具体的なポリシーは出ていないからこれをいまするわけにはいかない 羅津、先鋒ら地区の・・・・。
Q:日本では北朝鮮よりもベトナムに興味をしている、競争関係になるのではないか。
A:正しい意見だ。競争関係! やりたいものです。
Q:金日成主席は特区に対してどう考えているか
A:我が国で行われるすべてのことは金日成主席の意思に沿って、一地域を特区にすることは金日成の監視のもとに行われると理解してほしい。金日成主席は去年中国を訪問した。長い間、中国の指導者が金日成に経済建設と美しい景色を参観させるためにいろいろなところに連れていきました。特区だといってとくに言ったとは思えない。
Q:特区設立と社会主義は矛盾しないか。
A:これまで人民と学生たちを祖国のために働くよう教育してきた。適宜な教育をするのが特区建設の障害となるとは思わない。かえって失業者や暴動を無くすのにいい。真面目に働かなければ富も生産できない。羅津、先鋒地区には他と異なった法律が適用される。思想が障害とはなりえない。三大革命グループについていえば、それは生産を促し、生活をスムーズにするいい措置だ。私の言う意味は羅津、先鋒地区に三大革命グループがいるという意味ではない。
Q:韓国の役割は。
A:韓国とは一つの民族だ。われわれは南朝鮮、韓国が投資することを歓迎する。南朝鮮とは経済的に合作するつもりだ。こういった過程は統一に有利だと思う。私たちは率直に言って韓国の人々が一つの氏族であるから優先的にまた最初に投資することを期待します。
Q:核問題と韓国投資。
A:核問題はいろいろと討議されている。韓国との問題は一日でできたものではない。第二次大戦後、積もり積もって出来た問題だ。時間が必要だ。われわれは国際査察を受け入れて討議し南北の人々に証明したい。
Q:豆満江の投資量は誰が規定したか。
A:資金調達はまず国家的にまず出す。そして外国の銀行も、アジア開発銀行など外国の銀行も投資できる、制約はない。外国の人々が多く投資することを期待します。
Q:アジア開発銀行など国際機関へる加人意思は。
A:それはこれからのこと。アジア開発銀行にはこれから加入しようとしとている。今回北京でE S C A Pには加人した。
Q:図椚江への予算は。
A:調査予算は立てている。具体的プランが出て国家的投資があると思う。
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