偉詮電子の蔡焜燦会長(新竹Science Parkで)

 「日本半導体大手が大挙進出、3年内に400億円」―台湾の日系新聞「工商時報』の昨年12月1日の一面トップ記事だ。
 「新竹の技術者が安かろう悪かろうという台湾製品のイメージを変えた」―新竹科学工業区(サイエンスパーク)の(童兆勤管理福局長)は自信に満ちた表情で説明した。同サイエンスパークはエイサー、マイタックという世界的パソコンメーカーを生み出し、米国のテキサス・インスツルメンツやAT&T、マイクロソフトだけでなく、最近では日本の富士通、三菱電機、信越化学工業など先進国の有数のハイテク企業の誘致に成功している。
 サイエンスパークの特徴は、名だたる企業が集積しているというだけではない。国際的パソコンネットワークであるインターネットを通じて情報が日常的に世界とオンラインしており、米国型の経営手法がこの地にも定着しつつあることも新鮮だ。

【定着する米国型経営】

 在米20年で1年前にパソコン周辺機器メーカーの 「レリア・テクノロジー社」に転籍したデビッド・林同社副社長は自らキーボードをたたきながら「設計段階から米国企業とパソコンで情報をやりとりしている。今年からは世界のパソコン企業に対してインターネットを通じた売り込みを始めた」と、ことむなげに言う。台湾は自前の通信術星すら持たないが、情報ネットワークは使い方次第だ。他国の“軒先”を借りた商売も自由自在だ。
 日本の大企業が聞いたら逆噴射しかねない会話もあった。ある半導体設計の企業幹部は「うちは製造部門がないので[日立に作らせている]というのだ。よほどの自信がなければ世界のハイテク王国のトップ企業に向けて発言できる内容ではない。
 「ウエルトレンド」(偉詮電子)社は5年前に航空貨物の分野から半導体設計に進出した。4割配もを続ける高収益企業だが、給料とボーナスとは別途、利益の16%を経営陣に株式として譲渡することを定款に書き込んだ。蔡焜燦会長は「役員は頑張れば受取配当も増える。結果として企業も伸びる」と急成長の秘訣を説く。
 パーク管理局関係者は、三菱電機が次世代メモリーの生産拠点を日本国内ではなく新竹サイエンスパークに求めたことに関して「台湾メーカーを単なる組立産業と位置づけていた時代とは状況が変わった」と説明。「旺盛な台湾のパソコン生産に目を向けたもので、パーツから作りだした台湾企業と組むメリットが出てきた証明だ」と前向きに評価していた。

 【世界のブランド】

 このサイエンスパークは1980年、行政院の国家科学委員会の肝いりで開園。しばらくは入居基準に達する企業が現れなかったが、84年から軌道に乗った。現在、パソコンや半導体産業を中心に157社が生産を開始している。約15年間でゼロからl,290億台湾ドル(1993年、1台湾ドル=約4円)を稼ぎ出すハイテク団地に育っている。
 パーク関係者は筑波学園都市と」比較して「筑波は政府系の研究機関に偏りすぎている。ここはほとんどが民間の知恵で実利を生み出している」と語る。
「審査基準は厳しく、認可企業は年間30社に制限している。大企業だからといって進出できるわけではない」から「シンジュー(新竹の中国謡読み)出身企業は上場に当たっても株価を心配する必要がない。世界的にも通用するブランド」となっている。
 経営陣の約半数は米国帰りの技術者。「賃金面では米国との格差はない」が、多くは「経営を任される」ことに生き甲斐を見いだし、「約束された将来の地位や富」に魅力を感じるという。
 蔡会長は実は「半導体に関しては素人」。新竹ハイテク企業のトップの多くは蔡会長と同様、“起業家”ではなく、ベンチャー企業への投資家たちだ。米国帰りの技術者たちが持ち込んだ経営手法をすんなり受け入れ、高配当や高株価という成功報酬を期待している。
 台湾は、賃金の高騰による企業の海タト流出で日本同様「産業の空洞化」への危恨が高まっている。特に大陸への投資は93年には200億ドル規模に達しており、政府は空洞化対策として知識集約型産業の誘致に躍起となっている。しかし童副局長が自信を示すように、ここサイエンスパークに関する限り、そうした懸念は既に払拭されている。

 【果敢なベンチャーキャピタル】

 「日本は教育にしても企業経営、商品販売すべて日本人だけでやってきた。これが積み重なって対外的にコミュニケーションを取ることが難しくなっているのではないか」。
 今回の台湾取材で多く聞いた最近の日本評である。
 これに対して台湾は「日本と比べて国内市場は狭く、外へ飛び出すしか成功の道はなかった。長い間のそうした外国での苦労が故郷指向を生み、海外との太いパイプとなっていま実りつつある」というのだ。
 ボーダーレス時代の経済は多くの国籍の人々とコミュニケートし、瞬時に判断するスピードが求められている。80年代に日本が世界に誇った「ボトムアップ」式の経営はボーダーレス時代にはもはや通用しないということが分かった。
 「日本の経済が長期低迷し景気回復へ手探り状態であるのに対して、アジア経済が元気がいいのは、まさにリスクの多いボーダーレス経済に果敢に挑戦する企業家や投資家がいるかいないかの違いなのだと実感した。変化とスピードこそが21世紀への新たなキーワードだ。(
Ring 1995年2月)