霞が関省庁で事務次官は事務方のトップ。何々審議官は主に対外交渉の貴任者だ。英語ではそれぞれヴァイス・ミニスター、デプユティー・ミニスターと訳している。翻訳すればどちらも大臣の次に偉い人という意味だが、官僚の世界では絶対的重みが違う。日本がこれほど国際化、日常的に交流しているにも関わらず、外国との交渉に当たる国際派の官僚がトップに上りつめることは決してない。システムとして有り得ないのだ。外務省以外でもほとんどの官僚は一回ぐらい海外の在外公館などに赴任する。しかし二度目海外赴任となると誰もが二の足を踏む。そして辞令が出れば「俺は次官レースから外れた」と落胆することになる。大使館の公使ともなれば海外ではナンバーツーとしてたびたび大使の代役を勤めるなど華々しいキャリアなのだが、官僚にとっては最悪の人事なのだ。次官レースに勝ち残るポストといわれる総務課長や会計課長、秘書課長に就任する時期に国内にいないことは決定的にマイナスだからだ。レースから脱落するだけではない。帰国して局長になるケースすら稀だ。事務次官になれなくともせめて対外交渉の責任者に海外経験の長い人材が活用されるのならばまだ救われるが、このように対外交渉の責任者としてのデプユティー・ミニスターに上り詰めるまでに省内の国際派といわれる人材は一掃されている。だから、対外交渉の責任者もドメ(国内派)が勤めることになる。日本の官僚組織が硬直的で、世界の変化から取り残されている原因のひとつに以上のような背景がある。対外交渉においても国益優先が貫徹されるのは当然だが、だからといって世界の変化やアジアの変化に鈍感であっていいはずはない。どこの国でも正式対外交渉は通訳を介して行われることになっているが、正式会談以外の場でも政府高官の背後で通訳がうろうろしているのはやはり日本ぐらいのものではないか。