熨斗を漢字で書ける人は大変な日本人だ。熨斗はそもそも干したアワビの帯である。古来、日本人は熨斗アワビをつくって朝廷に献上していた。伊勢神宮設立の神話も遡ればアワビに始まる。うそではない。伊勢神宮の場所を探していた女官が志摩半島にたどり着き、アマテラスが「伊勢は美し国」と褒め称えたため、その地にアマテラスを祀る事になったと日本書紀に書いてある。そのアワビを採っていたのは海女たちだった。海女たちはいまも素潜りでアワビを採っている。日本と耽羅の人々の物語は今も続いている。
 驚いたのは韓国・済州島の海女が三重県で漁をしていると聞いた時である。三重タイムズの社長さんと話をしていた時である。熊野の沿岸でダイビングをしていた時、横で潜っていた海女たちが韓国語をしゃべっていたというのだから間違いないというのだ。
 後継者不足でついに海女の世界にも外国人労働の時代がやってきたのかと思い、「それって外国人労働になるんですか」と聞いた。浅はかにも「そうか、潜水漁労は特殊技能だからビザが出るんだ」などと考えた。
 社長の話は続く。
「分からないけど、そんなにきのう今日の話ではないようなのですよ」
「耽羅(たんら)って知っていますか」
「伊勢神宮に奉納するアワビのことを耽羅鮑というんです」
「その耽羅とは済州島の古い地名なのです」
「どうも済州島と志摩とはそんな時代から行き来があったのです」
 家に帰って日本書紀をひもとくと、あるはあるは百済や新羅と並んで随所に「耽羅」という地名が出てくる。大和朝廷に使節を送っていたというのだから国だったのかもしれない。教科書で習ったのは、7、8世紀、朝鮮半島には任那、百済、新羅という国があったということだけで耽羅については一切触れられていない。
 網野善彦氏の『日本とは何か』(講談社)にも「耽羅」や「耽羅鰒(たんらのあわび)」への言及が多くある。済州島の旧名である耽羅が日本と深い関係にあったことや、アワビの採取を通じて古くから深い関わりがあったことを歴史事実を列挙しながら詳しく書いている。
 済州島とアワビの関わりは海士たちによって、玄界灘を渡って北九州、肥後、豊後、さらに瀬戸内海に入り、紀伊半島をぐるっと回って志摩にたどり着いたようである。