「板垣死すとも自由は死せず」「自由は土佐の山間より出ず」「海南自由党」。高知には自由の言葉が少なくない。日本でFreedomやLibertyを自由と訳したのは福沢諭吉らしい。慶応2年に出版した「西洋事情」が売れて人口に膾炙した。ただ本の中で「リベルチという語、未だ的当な訳字あらず」「自由は原意を尽くすに足らず」と書いている。大陸では 「自主」「自尊」「自立」などの訳語があり、日本に伝えられていた。加藤弘之は慶応4年の「立憲政体略」で「自在」と訳していた。同年出版の津田真道「泰西国法論」も「自在だった」。「自由」の訳語はもともと幕府の外国方英語通辞の森山多吉郎が考えたという説もある。

「共和政治」も重要な概念だった。大槻盤渓が箕作阮甫の養子、箕作省吾が弘化元年(1844)、日本初の世界地図である『新製輿地全図』(しんせいよちぜんず)とその解説書で西洋地理書の『坤輿図識』(こんよずしき)の刊行した際、オランダ語で「レピュブリーク」という言葉に突き当たり、「君主のいない政体」であることが分かった。箕作阮甫に聞いたところ、「周の時代、国王が出奔した時、二人の宰相が14年にわたり国を理めることになった。それを共和といった」と答え、「レピュブリーク」の訳語として「共和政治」がよりしかろうといおうことになった。

明治14年から26年、東京大学では経済学のことを「理財学」と言っていた。「周易」の一節からとったとされる。慶応3年、英語の「Politocal Economy」という本を翻訳した際、訳者の神田孝平という人がほんのタイトルを「経済小学」と命名したのが「経済」の始まりらしい。もともとは中国古典の経国済民が由来で「国を治め、民を救うこと」だった。明治3年、大学南校規則で「利用厚生学」とされ、とある英書に「Political Economy is the Science of Wealth」などとあったため、「富学」という語を使った人もあったから、何が何だか分からない。

 財務省には理財局という部署がある。国庫、国債・地方債、財政投融資、国有財産管理、日本銀行の業務・組織運営、貨幣の発行、日本銀行券の発行計画などを主な業務としている。公の「経済」を管轄する部署といっていい。

尾崎行雄は、「権利」という字は間違いだと言っていた。rightは公正利益の意味で、「権」の「利」ではないという。「公利」とでもしておけばよかったのに。そういえば、「公」もまた、違うことになっている。「公務員」は「公」の「僕」であるはずなのに、今では「公」は「官僚」につながる意味合いが強すぎる。

僕たちがふだん何気なく使っている言葉の多くは明治時代に作られた。このことは何回も夜学会で話したが、もう一度吟味してもいい時期に来ているのかもしれない。