エドワード・リー(マレーシア日本語協会、国際平和協会季刊誌2003年秋号「国際平和」掲載)

 マレーシア日本語協会は1968年、クアラルンプールで発足し、35年間にわたり、日本語教育と日本文化普及を目指してきたNPOです。われわれとよさこい踊りとの出会いは、2002年1月でした。それまで日本語教育に対する関心を高めるため、日本の盆踊りを練習していましたが、若者にもう少しアップテンポでリズミカルな日本の踊りはないか模索しているところでした。ちょうどマレーシア国民大学で日本語を教えていた高知県出身の伴美喜子さんから「よさこい踊り」の存在を教えてもらいました。
 つてを頼って高知市の「よさこい国際交流隊」と連絡を取ることができ、2002年夏にマレーシアを訪問してクアラルンプールでよさこいを踊るという話がとんとん拍子で進み、8月にクアラルンプール郊外のショッピングコンプレックスであるピラミッド・ショツピングセンターでのよさこい踊りが実現しました。
 われわれは、マレーシア日本語協会で学ぶ人たちやジャー・アラム中学の男子学生を中心に約80人のチームを結成、国際交流隊から送ってもらったVTRテープをもとに練習を重ねました。高知側からは18人の国際交流隊のメンバーが合流し、買い物客数千人の前でマレーシア初のミニ・よさこい祭となりました。
 われわれの踊りはYosakoiBoleh! (中国語名・鳴子舞)と名付けました。Bolehというマレー語は「私たちもできる」といった意味で、われわれはよく「Malaysia Boleh」という表現を使います。
 ショツピングセンターでのYosakoiBaleh! はテレビでも新聞でも報道され、よさこい踊りが多くのマレーシア国民の知るところとなりました。
 よさこい踊りのおもしろさは毎年、振り付けや曲が変わることでしょう。伝統の中に進歩をも取り込んだ世界でも例のない踊りだと思います。それと踊り子それぞれが、鳴子というにぎやかな楽器を手にして、雰囲気を盛り上げるというところにも興味があります。われわれはゴムの木で鳴子をつくりました。国際交流隊のメンバーからは高知の鳴子よりいい音がするとほめられました。
 マレーシアはイスラム教の国家です。日本のようにみんなが集って楽しむ盆踊りのような行事はあまりありません。クアラルンプールの日本人会が20年前から主催している夏の盆踊りはいつの間にか、多くのマレーシア人が参加するようになり、最近では4、5万人が参加し、踊るイベントとなっています。盆踊りは今ではBonOdoriとしてマレーシア人にとっても待ち遠しい祭典の一つです。マレーシア在住の日本人は「世界最大の盆踊り」といって自慢しています。
 ことしは毎年7月に開催されるそのBonOdoriへの参加を目指して五月からよさこい踊りの練習を再開しました。メンバーはて100人に膨れ上がりました。授業で日本語を取り入れている中学校の生徒たち60人も加わりました。日本語を勉強していない人たちも多く参加しています。よさこいを始めて気付いたことは、ひょっとしてよさこいを通じてより多くのマレーシア人が日本文化や日本人により多くの興味をもつかもしれないということです。
 よさこい国際交流隊は、新しい振り付けのVTRテープを3月末に送ってくれました。ふつうは6月ごろにまでに新しい踊りの編曲と振り付けをつくるそうなのですが、今回はわれわれのために時期を早めてくれました。ありかたいことです。
 われわれは、クアラルンプール日本人会の好意でBonOdoriのプログラムにわれわれのよさこい踊りを入れてもらうことにも成功しました。今回も高知から国際交流隊のメンバーにマレーシアに来てもらい、4万人の前で一緒によさこい踊りを披露することができました。
 マレーシアでのにBonOdoriはクアラルンプールだけでなく、ペナンやジョホールでも行われています。ペナンからもよさこいをやってほしいという要望がありましたが、今年はクアラルンプールでのBonOdoriに集中しました。
 日本から今回も参加してくれた伴武澄さんは自分のメールマガジン『萬晩報』に「クアラルンプールのBonOdori合流したよさこい踊り」と題してコラムを書いてくれました。BonOdori の様子を次のように紹介してくれました。
  会場は松下スポーツセンターのグラウンド。おもしろいのは会場入り口で配られる「うちわ」。4万本しか用意しないのは、それ以上が会場内に入ると警備上危険だと当局から制限されているためだ。
  やぐらを中心に出来る四万人の輪は空前絶後である。日本では若者が見向きもしなくなった東京音頭や花笠音頭の曲が終わるたびにうちわが乱舞し、参加者の絶叫が会場をピートアップする。
  そんな熱気の中で、この日のために編曲されたアップテンポの「YosakoiBoleh 2003」の曲が鳴り始め、200人のそろいの法被姿の踊り子隊が会場に姿を現す。「よっちょれ、よっちょれ」の掛け声がとともに踊り子の隊列が四万人の輪の中に吸い込まれる。地元テレビのカメラが回り出すと、会場の興奮は絶頂に達した。
  高知チームに合流するため中国寧波市から参加した岩間孝夫さんは「日本の庶民文化も捨てておけへんちゃうか。日本の祭をアジアンースタンダードにしたらどや」「いや驚いた。こんな平和で享楽的なイスラム教徒もいることをブッシュ大統領も知るべきだ」を興奮気味に語った。

 マレーシアはマレー人を中心に中国系、インド系など多くの民族を抱える多民族国家です。民族の融和という課題は日本の方々には分かってもらえないかもしれません。BonOdori の会場の片隅にはイスラム教徒のためのお祈りのコーナーもあります。そんな配慮も必要なのです。
 ことし8月、われわれは高知を訪問し、よさこい踊りの本祭に参加しました。よさこい国際交流隊の メンバー100人と一緒に踊りました。
 このチームは高知に在住している外国人を中心に編成されています。「地方車」には「YosakoiBoleh!」の文字が両側に書かれ、天井には去年のピラミッド・ショッピングセンターで使われた垂幕が飾られていました。「昨年のマレーシアでのよさこいを忘れていない」ということを感じ、嬉しく思いました。
 高知の夏はマレーシアよりも暑さを感じましたが、踊り子たちはそんな暑さの中、昼過ぎから夜遅くまで踊り抜くのです。すごいエネルギーです。踊り子の衣装や音楽もいろいろあって楽しいです。われわれも二日間、世界の人たちと踊り狂いました。本当に楽しかったです。
 高知では、橋本大二郎知事と松尾徹人高知市長にお会いする栄誉にも恵まれました。橋本知事は何回かのマレーシア訪問でBonOdoriのことをよくご存知でした。松尾市長は「来年はマレーシアで会いましょう」とマレーシアでのよさこい踊りに関心を示してくれました。
 高知新聞は私の投稿記事を掲載してくれ、祭の最中には取材も受けました。「どうしてマレーシアでよさこいを踊っているのか」と質問され、わたしは「よさこいは新しいものと古いものが混ざって進化していく祭り。将来はマレーシアのよさこいをつくりたい」と答えました。一緒に踊ったイギリス人男性が「こんな祭はイギリスにもない。よさこいに参加するため帰国の日を遅らせたんだ」と興奮気味に話したように、よさこいは一度踊ったらやめられない踊りのような気がします。
 マレーシアは人口比で日本語を学ぶ率が一番高い国だと聞いています。マハティール首相が提唱したルック・イースト政策が大きく影響していることは間違いありません。現在、マレーシアでもよさこい祭のようなイベントを育てていきたいと考えています。今後、ますます日本とマレーシアの交流が深まることを願っています。