中田昌志(和田製糖常務)
 よさこい、よさこい、良い事が来る、よい世の中が来る、世界平和が来る。

 2002年7月、恩師である古谷俊夫先生の叙勲祝賀会開催中、ガーナに赴任した浅井和子特命全権大使よりメールがとびこんできた。
 「ガーナで『よさこい踊り』を開催したい。日本は今までのように援助は出来ない。金の切れ目が縁の切れ目にならないように人と人との交流が大事だ。『踊り大好きなガーナ』の人たちに故郷土佐のよさこい踊りがぴったりです。『よさこい踊り』持ってきてほしい」
 早速、友人と相談、鳴子よさこい踊りのビデオテープをガーナへ送った。ガーナ側では、踊りが大好きで「踊っていると神様と一緒になれる」と信じるガーナ国立劇場館長がインストラクターを集め、オリジナルよさこい踊りの創作に取り掛かった。
 音楽、踊りができても、肝心の衣装並びに鳴子がない、高知で寄贈してくれるところはないか問い合わせするも反応なく、さて如何したものかと思案した。個人では世間が認めてくれない。そこで、10月15日「ガーナで、よさこい支援会」(会長・古谷俊夫)を設立、高知県庁で趣旨を発表した。
 NHK、高知新聞などの報道によって、法被・浴衣650着、鳴子1050丁、それに賞品として川鉄商事よりサバ缶詰一万個が寄贈された。それにもまして、土佐高校同窓生、浅井大使の友人知人、大勢の方々の厚意により運営資金の調達も出来る見通しとなった。
 土佐の~♪高知の~♪はりまや橋で……
 アフリカ・ガーナの大地で観客数千人。『よさこい音頭』が大音響で響きわり、ガーナの踊り子たちが、出陣の如く砂塵をあげて一斉に踊りだした。
 Aグループ200人。日本人会、柔道クラブ、トヨタ、伊藤忠など、もちろん日本より参加した21名、にわか踊り子となっての熱演となった。さらに、Bグループ500人、8チーム(1チーム約60人)が続き、太鼓の響きと共に熱気がガーナの空に舞い上がった、柔軟な筋肉、バネ、リズム感は日本人には到底まねの出来ない天性のものを感じた。グランドを一周、正面審査委員前での踊りは熱気が頂点に達する。「審査員にこれでもどうかこれでもどうかと妙技を披露して踊り迫ってきたのには驚いた」と日本からの同行者代表・溝渕審査員が評していた。竹のぽり、皿回し、アクロバットありで、まるでサーカスかと思った。
 表彰では、三位チームは発表と同時に大喜び、二位チームの選手は喜ぼうとするが、チーム代表不服の表情に途惑う。優勝チームは、授与された松尾高知市長フラグをかざしてグランドを凱旋しての大喜び。
 高知でジャズダンススタジオを経営する国友須賀先生は「高知のよさこい祭りでは順位をつけないで賞を与える。あの悲しい表情を見るのは辛い・・・」とあまりに強い競争心に心を痛めた。
 しかしガーナで側の開催責任者は「ガーナは、前進して良い国づくりをしていかなくてはいけない、競争して打ち勝っていかなかなくてはいけない、悔しければ努力して負けないようにすることだ。ガーナはそうして発展するのだ」と意に介さない。実は参加チームが部族単位であったことを、同行した高知新聞の大山哲也記者の記事により帰国後知ることとなった。
 ともあれ、よさこいのガーナ競演は成功裡に終わった。日本より参加した国友先生らジャズダンスのプロたちは「ガーナ人による踊りの練習を始めて見た時、感激し涙が留まることを知らなかった」と述限した。
 そして、年が明けて2003年6月、「ガーナのセント・ピーターズ高校生30人が来日するので土佐高関係先でホームステイをお願いしたい」との第一報が入った。昨年、土佐高の森本教頭が、同校を訪問したことにより国際交流が始まっていた。まさか来ると思っていなかったが、現実のこととなった。
 セント・ピーターズ高はガーナ有数の進学校で、ガーナの将来のリーダーたちを高知に迎えることに異論はなかった。昨年のガーナでのよさこい交流が早くも一つの芽を育んだのである。来日の日程は8月25日から9月9日まで。全国に散らばる土佐高OBと青年海外協力隊のガーナOBらによるメーリングリストのネットワークが動き出してスケジュールが練られた。
 中高生を対象とした『プレよさこい甲子園』に参加することを軸に、ガーナ産カカオを使用するロッテのチョコレート工場や世界に誇る最先端のトヨタの自動車工場、NHK、新幹線、京都、瀬戸大橋など盛りだくさんの見学先が決まった。
 トヨタの見学で生徒たちは当日夜、車の夢を見て眠れなかったそうだ。なんと言っても、人気ナンバーワンは、スポーツカーレクサスであった。京都では、関西大学の久保田真弓教授率いる大学生の案内で清水寺を参拝。生徒一人が托鉢僧にお布施を上げたところ二人三人と続いてお布施をしたのには感心をした。ガーナ人は施しの習慣があり、そのことがごく自然に身についていることを知ることとなった。
 高知到着後、ホームステイ先の紹介、土佐高等学校始業式参列、歓待を受けての授業参加、バスケット、サッカーの試合、空手の指導など在校生との交流を図った。
 また森本教頭、山口さん、塹江さんの案内で馬路村を訪問。生徒たちは村挙げての大歓迎を受け、農業実習や餅つきなどをした。日本文化や風習に触れる大変意義のある楽しい研修であったようだ。
 セント・ピーターズ高一行は国際親善大使として、松尾徹人高知市長を表敬。同市長は「よさこいを通じて縁が出来たことをうれしく思います。素晴らしい踊りを見せてください」と歓迎の挨拶。引率者のレノア神父は「交流を通じて平和な世界を一緒につくりたい」と応えた。日本の印象を聞かれた生徒は、「やさしくて、親切な人が多い。みんな一生懸命働いている」と感想を述べた。松尾市長より、記念品として生徒たち一人一人に鳴子が贈られた。
 『プレよさこい甲子園』への参加は土佐高校生と合同参加だった。9月5日、6日、国友須賀ジャズスタジオで、よさこい踊りの特訓が行われた。音楽はガーナ音楽とよさこい音頭を合わせた浅井大使による編曲、踊りはガーナ国立劇場踊りの先生による振り付けである。メンバーは、セント・ピーターズ高18人、土佐高61人、須賀ジャズ土佐女子高7名の総勢86人。
 NHK、TV高知、高知放送の取材が入ったことが生徒たちに適度の緊張感と励みを生み出し、疲れを忘れての特訓となった。スタジオでの練習終了後も表の広場で自主練習を続ける光景を見て、目頭が思わず熱くなり、本番では練習の成果を信じて、それぞれ自分の踊りを思い切って踊らせたいと思った。
 9月7日、快晴の高知中央公園で、『プレよさこい甲子園』が開幕。残暑厳しくガーナ以上の暑さだった。ガーナ土佐合同チームがよさこい踊りを始めると、観客はアット驚いた。日本にないリズムとビートの利いた音楽。そして、彼らの柔らかい筋肉が躍動した。ガーナ高校生18名は、よきこい踊り以外にガーナの踊り、『ザザザ・ウガガ・ウガガ』の音楽でも踊った。