言い訳がましいが、高知市議になって、議会を仕切っているのは議会事務局であることを知った。そして議会事務局長殿に「円滑な議会運営にご理解を」と言われて、返答に困った。どうやら疑問を持つこと自体が「円滑」という認識から相当外れることになることになりそうなのだ。

英語で議会をParliamentという。「会話する」というフランス語のParlementを語源としているとされる。アメリカのCongressは参集するという意味だ。議会はギリシアのポリスの民会を起源とすることは教科書で習った。ギリシアでは声の大きい人がその民会を仕切った。人々の集まりで物事を決める際、必要なのは議論を仕切る人物であろう。世話役と言ってもいい。リーダーと言ってもいい。すべては混沌から始まったと考えれば、進行役がいなければ、何も始まらない。議会もそうだったはずだ。まずは議論の進め方、つまり約束事を決めなければならない。声の大きな人が「集まろう」と声掛けしたはずだ。人々が集まれば、次はどうやって結論を導くか。多数決は誰もが納得する手法だったに違いない。そもそも「集まり」に参加できる資格を決めることも不可欠だ。一回経験すれば、いろいろなことが決まっていく。決めたことをみんなで守ろうという約束事も自然に決まる。

高知市議会議員になって最初の議会は6月15日に召集された。誰が招集するのか疑問に思った。行政府の長、つまり高知市長が招集したことはすぐ分かった。市長が議長に召集をかけ、議長から会派の長に伝えられ、会派の議員に伝えられる。

市議会選挙は4月23日に行われ、即日開票で議員の当選が決まった。翌々日の25日に高知市選挙管理委員会委員長から当選証書が手渡された。一人ひとり当選議員がうやうやしく当選証書をいただくのだから、高知市の役人である委員長から「当選しました。おめでとうございます」と言われることが不思議だった。たぶん、公正なる選挙において当選の票数に達していることの証明する「儀式」なんだろうと考えて、妙に納得した。そして、今の市長さんも同じように選管委員長から当選証書をいただいたのだろうかと想像した。ちなみに選挙管理委員長は市長が任命し、市議会が承認した人事なのである。自分たちが承認した人物に証書をいただく儀式が当選証書授与式だったのである。卒業式で校長先生からいただく卒業証書とはちょっと意味合いが違う。

この間、議会のスケジュールは議会事務局から伝えられる。5月2日に総会が開催され、委員会室に当選議員34人が集まり、議会事務局長の児玉さんの司会で「年長議員を議長に」という提案があり、「異議なし」の声で吉永議員が仮議長に決まった。5月10日、11日に正副議長選出と常任委員会のメンバーを決める組織議会の招集が決まった。

5月10日(水)は午前10時から、臨時市議会が開催され、正副議長を選出した。選挙前は市民クラブ、自民党・中道、公明党の3会派が正副議長を交代で選出していたが、今回は自民党籍が14人当選し、筆頭会派となり、公明党と組んだため、自民党の平田文彦氏が議長に選出された。議長が確定した段階で、市民クラブ代表の岡崎豊氏が「議事進行」と声を挙げ、審議が止まるというハプニングが起きた。岡崎氏は、開会と同時に各派の代表者会議が開かれるものと思っていた。今回は代表者会議が開かれず、事前の打ち合わせもなく、議長選出に入ったため、岡崎氏が議事を止めたのだった。市民クラブ7人は議場を退出、控室に集まり協議した。最悪の場合、市民クラブ抜きで副議長が選出される可能性もあったが、結局「今日の場合は鉾を納めて議場に戻ることになった。初日から、波乱含みの展開となった。

5月11日、前日の高知市議会議長・副議長選出に次いで、常任委員会などのメンバーが決まった。僕は経済文教委員会に所属することになった。面白かったのは、委員長・副委員長を選出するに当たって、臨時委員長として僕が「司会」をすることになったことだ。市議会規則で年長者が臨時委員長になることに決まっているからなのだ。71歳とはいえ初当選で右も左も分からないまま、議会事務局の女性から役割を与えられた。別に緊張もしなかったが、「へー、そんな制度になっているのか」と驚いた。前日の本会議で議長・副議長を選ぶ際も、4期目の吉永哲也議員が76歳で年長ということで臨時議長になった。同僚議員に「俺がもう少し年上で当選者の中で最年長だったら、初当選でも俺が議長席に座っていた珍事もあったのか」と聞いたら、「そうだ」と返事が返ってきた。ちなみに僕より年上は吉永議員76歳についで、氏原嗣志議員74歳、岡崎邦子議員73歳、竹村邦夫議員72歳の4人がいる。
ちなみに委員長・副委員長の選出は事前の非公式の代表者会議で決まっていて、委員会での選出は単なる儀式に過ぎない。くだんの女性職員から手渡された「シナリオ」を読むだけのこと。ただ、そのまま読んだのでは議員としてあまりにも悲しいので多少表現を変えたり、はしおったりして「任務」を果たした。