僕たちは自動車を所有すると毎年、自動車税を納める。この税金は地方税で、都道府県が徴収する。税額は自動車の大きさではなく、エンジンの排気量で区別される。排気量が大きいほど高くなる仕組みだ。この仕組みは悪くない。日本でEVが本格的に売り出されたのは十数年前のこと。日産のリーフや三菱自の軽自動車e-Mievが世界に先鞭をつけた。エンジンがないこれらの自動車の税金はどうなっているのかしばらく疑問だった。分かったことは排気量がゼロだから1000cc未満の区分で徴収していることだった。本来、排気量がゼロなのだから、税金がゼロというのなら分かりやすい。当時の役人の苦肉の策だったのだろう。だが、その制度が十数年も続いているとすれば、やはりおかしいことになる。

もう一つ、ガソリン税というものがある。リットル当たり50円強が税金として上乗せされている。双方で4兆円内外の税収がある。ガソリン税や系譜取引税は重量税など自動車関連の税金と併せて道路建設のための特定財源とされてきた。自動車を利用する人が少なかった時代にできた制度で、道路を利用する自動車の所有者がふたんすべきだという理屈だった。これを「受益者負担」という。今は、一般財源化されているが、道路建設の主要財源となっていることに変わりはない。EVは電気をエネルギー源とするから、ガソリン車がEVに移行すると究極は税収がゼロになってしまう。日本でEVの普及が遅れているのは霞が関がこの大きな財源を失いたくないためだと考えている。コンセントから流れる電気はごく少量しか課税されていない。テレビや電灯など一般の家庭生活に不可欠だからである。EVが普及して家庭で充電したとしても自動車用のエネルギーだけを区分できるはずもない。電気にガソリン税や軽油取引税並みに課税したら、国民から総スカンをくらうことは間違いない。EVが普及し始めて相当の時間が経つのに、政府は一切、制度改革に着手していないのだ。

ヨーロッパではもともとガソリン税や軽油取引税は安かったが、90年代からの環境意識の高まりから環境税を徴収し始め、いまでは自動車燃料にかかる税金は日本よりも高くなっている。環境税の税収は風力や太陽光発電などの財源としたため、ヨーロッパでは非化石燃料エネルギーの比率がどんどん高くなっている。一方、日本では燃料にかかる税金は相変わらず道路建設につぎ込まれ続けている。

税金は国家の根幹である。徴収の仕方、その使い道は当然、時代に即応して変えていかなければならないのに、日本の場合は高度成長期から硬直したままといっていい。各省庁の利権の縄張り争いの道具でしかないのが、実態といえる。しかし、脱炭素社会の構築という差し迫った大きな課題に直面して、本腰を入れて制度設計をやり直さなければならない時期に来ている。