このほど杉並区長に当選した岸本聡子さんの著書「水道、再び公営化!」を読んだ。ヨーロッパで起きている水の闘い。つまり80年代から始まった民営からここ20年、再公営化の動きが加速しているというのだ。そんな動きに反して4月から宮城県の水道が民営化された。周回遅れの日本ならではの動きといえよう。岸本さんの著書からフランスとイギリスで起きている運動を解説したい。

世界的にみると、水道の再公営化は2019年時点で311都市ある。その3割がフランスで起きている。フランスの水道は2001年に72%が民営だったが、2016年には60%まで低下した。つまり40%が公営に戻った。2001年のグルノーブルがその先駆けで、パリは2010年1月1日から公営に切り替わり、翌年には水道料金が8%も値下げされた。25年前、ヴェオリアとスエズ社がパリの水道経営に全面的に乗り出したのはジャック・シラクがパリ市長だった時代。民間企業の方が効率的に経営できるはずだということで民間企業に売り渡した。しかし、現実に起きてことは水道料金の大幅な値上げだった。25年間に256%上がった。その間の物価上昇は約70%だったから、水の値段は物価の3倍以上に跳ね上がった。利益率は当初、6%といわれていたが、その後の調査で15%もあったことが分かった。民間による経営を行政がモニタリングするはずだったが、その機能は有名無実、つまり機能しなかったことになる。25年に渡り、その経営はブラックボックスの中にあったというから驚きだ。

パリの水道が市民の手に取り戻されたのは、2001年にドラノエ市長が当選したことに始まる。ストラ副市長が再公営化の旗振り役になった。パリの民営水道は「取水・送水」をSAGEP社が担い、「配水・給水」はヴェオリアとスエズが担い、料金徴収業務もこの2社が担ってきた。SAGEP社もこの2社が14%ずつ株式を保有していたから、ほとんどすべてがヴェオリアとスエズの支配下にあったといっていい。ドラノエ市長は2001年、SAGEP社のCEOにストラ副市長を送り込み、SAGEP社の全株式をパリ市が買い取った。そして2社が支配する料金徴収の会社は解散させた。2008年、ドラノエ市長が再選されるとただちに公営化を決議し、2社に代わって公営会社「オード・パリ」を設立することを決めた。システムの移転は難航したが、グルノーブル市の再公営化が手本となった。決議からたった14カ月で難作業を克服したという。

「オード・パリ」は再公営化を果たしただけではない。水源地の保護にも乗り出した。パリ市の水源はブルゴーニュ、フランシュ、コンテ州からノルマンディー州まで5つの流域に点在している。その自治体と提携し、水質の保全と場合によっては、所有権も確保する。農業を中心に循環型社会を構築しようとしているのだ。その中で有機農業の推進もミッションとなっている。また、パリ市内に無料飲水機を200台設置し、ペットボトルの消費の抑制をも呼びかけている。

「オード・パリ」が世界に示したものは決して小さくない。民営化が必ずしも効率経営をもたらさないことを示したことが第一。そして選挙を通じて「再公営化」をすすめたことことも大事だ。さらに大きなことは、資本に対抗するため「公」の役割を再認識させたことではないか。