在りし日の海部俊樹さん

 海部俊樹元首相が1月9日亡くなった。僕にとって海部さんが近しいのは、世界連邦運動協会の会長に就任した2011年にインタビューをした経験があるからだ。90年前後、外務省を担当し、日米構造協議問題で日米首脳会議があり、専用機に乗って同行取材したこともあるが、その時はノーテンキな首相だと批判的に見ていたが、20年後に直に話を聞くと、理想を心に秘めた温かみのある政治家だったことが分かった。特にヒューストン・サミットで各国首脳を大笑いさせた逸話は秀逸だった。

 Q:このたびは桐花大綬章の受章おめでとうございます。海部さんは1989年から約2年半にわたり首相をつとめられました。当時は国際政治の大転換期でした。ベルリンの壁の崩壊があり、東西冷戦構造が消滅し、湾岸戦争も起き、日本の自衛隊のあり方も問われました。経済面では日米構造協議というかつてない困難な問題に直面しましたが、ブッシュ大統領とはジョージ、トシキと呼び合う信頼関係をつくりました。
 海部会長:中曽根首相とレーガン大統領に続いてジョージとトシキの関係をつくれたのは大きかった。ジョージは気配りの人で正月の朝、まだ官邸に誰もいない時間帯に国際電話がかかり、直接出ると交換手が「プレジデント・イズ・オン・ザ・ライン」というのです。続いてジョージが「ハッピー・ニューイヤー」と電話に出たのでびっくり。ワシントンではまだ大晦日なんですよね。日本の時間に合わせてわざわざ電話してくれたのです。日米構造協議の最中で、こういう人のためならばと思わせるものがありました。
 Q 海部さんといえば、90年のヒューストン・サミットでサッチャー首相やマルルーニ首相らを大笑わせたエピソードがあります。あの時、いったい何と言って笑わせたのですか。
海部会長:カナダのマルルーニ首相が「テキサスは暑すぎる」と繰り返していて「もう倒れそうだ」とこっちに寄りかかってきたのです。とっさに「アイ・アム・ノット・ストロング・イナフ」「倒れるんなら向こうに鉄の女がいるから、向こうに倒れろ」って言ったんです。そしたらブッシュ大統領らが大笑いになりました。その写真が新聞に大きく掲載されて、朝日新聞は「7月10日は海部記念日」と書いてくれました。
 Q:ところで高度成長期に日本の役割を考えられ、現在の青年海外協力隊を創設されたのは海部さんとうかがっていますが。
 海部会長:そうなんです。1964年でしたか。アメリカのケネディ大統領が平和部隊をつくって青年を海外に派遣しました。それにならって日本に青年海外奉仕隊をつくりました。小渕恵三さん、西岡武夫さん、民間では末次一郎さん等が一緒に手伝ってくれました。名称も奉仕でなく協力だ。青年海外協力隊が良いという事になりました。大学を回って説明したところ「夢をもう一度ということか」といわれ、そんな気持ちではアジアは一つとはいえないと反論しました。日本が世界に貢献できるのは若者であると思ったのです。
 Q:国境を越えて青年が活躍していけば、相互理解が一層深まります。世界連邦の考えとつながるものがあると思いますが。
 海部会長:僕が中学生だったのは終戦直後でした。目的がなかった僕らを励ましてくれたのが東海中学の校長先生でした。林霊法という浄土宗の坊さんでした。後に知恩院の法主となられました。京都で開かれる弁論大会に出場しないかと言うのです。「平和国家建設と我ら」という題で7分間の弁論をしたら、優勝してしまいました。優勝旗を持って帰ってくると一番喜んで下さったのが林校長先生でした。翌朝全校生徒が集まる場で「海部君良くやった」と褒められました。弁論大会では何を話したのかよく覚えていませんが、平和憲法もまだ教えてもらっていなかった時代です。300万人の同胞の犠牲で体験した反省があり、スクラムを組んでノーと声を合わせるのが中学生の使命であるというような事を言いました。早稲田大学に入ってから世界連邦運動の誘いがありました。特に雄弁会会長の時子山常三郎先生(世界連邦運動協会第四代会長)が熱心でした。御自宅に伺うと世界連邦とは平和の為に必要不可欠と話されていた事を今でも忘れません。しかし、総論賛成で、米ソが仲良くなったり、そう簡単に世界が統一できるとは思いませんでした。
 Q:首相在任中にベルリンの壁が崩壊する事件がありました。
海部会長 そうなんです。二つの対立がこんなに早く崩壊するとは思いませんでした。問題はそれで平和がやって来たわけではありません。米ソ対立が終われば平和がやってくると考えていまし、必ず自由主義社会が勝つと思っていました。しかし、そう簡単、単純ではありませんでした。
 Q:世界連邦運動も総論賛成、各論反対が多いですね。
 海部会長:そうですが、志は大きく、初めから敗北主義はいけません。小さくとも意志をもっていればやがて大きくなります(『志有竟成』)。菅直人首相は最小不幸社会を目指すのが政治だと言いましたが、それではだめです。やはり最大多数の最大幸福を求めていかなければなりません。世界連邦もそうです。
インタビュアー:伴武澄(執行理事)