もう一度、広井勇を 夜学会221
数日前、飲み屋で出会った松山から来た青年が「僕は土木の仕事をしているのですが、広井勇は神様みたいな存在です」と言って熱っぽく語りかけて来た。高知飲み屋で初めて広井勇の話を聞いた。
以前、佐川町で広井勇生誕150年の記念シンポジウムがあり、東大名誉教授の高橋裕氏が「日本ではインフラを作った人に対する世間の教育は劣っているように思う。英仏独ではまったく事情が異なる。たとえばイギリスではテームス河底トンネルを建設したブルンデルという土木の大先輩がいて、イギリスでは誰でも知っている人物なのだ。BBCが100万人に対して実施した「イギリスの歴史で最も貢献した人物」というアンケートで、一位はチャーチルだったが、二位にブルンデルが上った。テームス河トンネルだけでなく、イギリスの土木工学を今日にあらしめた人物だ。その後には日本でも知られるダーウィンやシェークスピア、ネルソンなどが続く。日本では残念ながら土木技術者はベストテンはおろかベスト20にも入らないだろう。それに値する人は多くいるだろうが、一般の人が知らない。」と話したことを思い出した。
広井勇は牧野富太郎と同世代の佐川町出身者。叔父を頼って上京し、東京外国語学校を経て札幌農学校で学び、アメリカに留学後、同学校の教授として迎えられ、小樽築港を手掛けた。同級生に新渡戸稲造、内村鑑三がいて、農学校のクリスチャン三傑と言われた。後に東大工学部長として迎えられ、青山士や八田与一ら多くの人材を生み出したことで知られる。広井の葬式で内村は「日本は清きシビル・エンジニアを失った」と弔辞を読んだ。
明治期の土佐は多くの逸材を生んだが、まだまだその功績が十分に評価されていない。広井勇もその一人だと思う。日本の歴史に貢献した人として今一度、顕彰したいと思う。