明治24年6月23日、芝の紅葉館で、日本初の国語辞典「言海」出版記念会が開かれた。伊藤博文、勝海舟、榎本武揚、大木喬任、加藤博之、陸羯南ら錚々たるメンバーが集まった。国会開設の翌年であり、ニコライ二世が刺される大津事件が起きた年でもある。限界を編纂したのは大槻文彦。蘭学者、大槻玄沢の孫である。たった一人で17年かけて1万2000字の辞書を完成させた。偉業と言っていい。

文彦は後日「一国の国語は、外に対しては、一民族たることを証し、内にしては、同胞一体なる感覚を固結せしむるものにして、即ち、国語の統一は、独立たる基礎にして、独立たる標識なり」と書いた。明治国家が生まれて、学校、菅英工場、中央銀行、政党、内閣、憲法、民法・・・。それだけでは足りない。近代国家には国語辞書が要る。文彦はそう考えたのだった。明治の初期、学問をなすにはまず外国語が不可欠だった。教師は外国人で教科書もまた外国語だった。そんな中から明治国家は少しずつ西洋の政治、経済制度や科学用語を日本語に翻訳していった。古い言葉にも読み方と意味づけが不可欠だった。独立国家として国語が必要だったことまで私たちは認識していない。

例えば、語順の「あいうえお」は江戸時代まで「いろは」の順番だった。言海は「あいうえお」を採用した点でも画期的だった。中国語には漢和辞典はあったが、部首引きで意味に行き当たるまで面倒である。表音文字を持たない国だったからである。

言海の言葉の由来は「敷島ややまと言葉の海にして拾ひし玉はみがかれにけり 後京極」。文彦は「ウェブスターの英語辞書、リトレのフランス語辞書に比肩するには後日の増補が要るだろうが、俺には言海を完成させた」という感慨があっただろうと思う。

くに(名)【国】(一)スベテ一区域の地の称。(二)道ノ内ニテ、数郡ヲ統ブル土地の分界の称。州。(三)大名小名ノ、都ニ居て、其領地ヲ呼ブ稱。「―許」「―詰」「―替」。邦国。(四)他郷ニ居テ己ガ郷貫ヲ称スル語。「―ヘ帰ル」郷国。(五)地球ノ上ニテ、大小、境ヲ成シテ、他ト異ナル政府ノ下ニ統ベラルル土地の称。「日本ノー」「支那ノー」イギリスノー」国、邦。

文彦は「くに」を五つに分けて定義して、使い方も列記した。