春野町の土佐組子の作品

 水曜日にSamaSamaの井倉さんと伊野町の中心地を歩いていた。木工所のような作業場に「土佐組子」という小さな看板がかかっていて、思わず工場内に足を踏み入れた。掃除をしていた女性に「組子をやっているのですか」と聞いた。「社長は出掛けていますけど」といって、奥に入り社長の父親を呼んできた。組子は各地で行われてきた伝統産業。欄間などの飾りで六角形や円形の模様を細かい木工細工で組み立てていく。父親は「最近は日本家屋が少なくなって需要がないのですが」と戸惑い気味だった。「これは最近売れている組子ボックスです。ワインなどを入れる飾り箱です。造り酒屋に請われてつくったのですが、30万円もするのに、中国で人気が出ています」。中国でもかつては細工職人がいたが、長く続いた戦乱と革命運動の影響で伝統が途絶えている。このところの経済発展で多くの富豪が生まれ、「なんぼでもお金を使う人たちが増えている」そうなのだ。僕は京都の西陣の旦那衆を思い出していた。京都の文化は旦那衆によって支えられてきたという話をかつて聞いたことがある。京セラの稲盛さんも祇園で飲んでいた旦那衆の集まりに呼ばれて「投資」してもらったという。有り余る資金を祇園で散在するばかりでない。芸術家を育てたり、起業家を見出すのが楽しみでもあった。ルネッサンスを生んだイタリア・フィレンツエのメジチ家もそんな存在だった。経済を元気にするのがそんな旦那衆の存在だったのに、今の日本には旦那衆がいなくなった。いま、組子を手掛けるのは土佐組子だけ。工場の片隅で作業をしていた若い女性に声をかけた。楽しくてしかたないという風情だった。4月に東京の多摩美を出て高知にやってきた。「求人があったわけではありません。ネットで探して押しかけてきました」。技術がある限り、人はやってくる。春野には空き家がたくさんあるのに「春野に住所がないと貸してくれない」のだそうだ。移住を促進しているのはどこの自治体だっけ!