8月7日(金)午後7時から

場所:はりまや橋商店街Water Base

先週、「台湾民主化の父、李登輝」をテーマとした。李登輝さんが書いた『武士道改題』と『武士道』(新渡戸稲造)、『明治という国家』(司馬遼太郎)を改めて読んだ。新渡戸稲造がなぜ『武士道』を書かざるを得なかったか。なぜ多くの武士たちが明治以降にプロテスタントとなったのか。そして、李登輝さんが武士道の何に心を動かされたのか。いくつかの疑問が氷解した。

明治国家を築いた人々の根底に何があり、行動や思考を突き動かした背景に「国民」としての目覚めがあった。明治という時空を歴史的に切り取ってみると分かりやすい。徳川家による統治が崩れ去った後、明治の人々は新たな国づくりを余儀なくされた。日本にはヨーロッパ諸国のようにキリスト教という精神的支柱がなかった。しかし、武士たちの家では人間の生き方について厳しい教えが語り継がれ、それを日々生きる糧としてきた。

新渡戸稲造はそれを「義」という概念で定義した。英語で言えば「ノーブレス・オブリージュ」となろうか。もちろん儒教の教えの中にある概念である。儒教における最高規範は「仁」だったが、新渡戸は、武士たちは儒教の教えの中から「義」を最も大切なものだと定義し、新興国、日本の精神的支柱だと世界の人々に説明した。人のために尽くすこと。これが義ではないか。僕はそう考えたい。

これは「公」につながる。李登輝さんは義の中の「公」に大いなる価値を見出した。中国社会になくて日本社会にあったのが「公」だと国民に伝えた。李登輝さんは、「公」の重要性を伝えてくれた日本を大切に思ってくれたのだった。李登輝さんたちは台湾建国の中心理念に「公」を据えた。それが「日本精神」であったと思いたい。司馬遼太郎は明治期のプロテスタントの教えについて、武士たちが持っていた「義」という心意気に相通じるものがあったと説明している。

西洋で国民国家が誕生した背景にプロテスタントの思想があったと説明するのはマックス・ウエーバーだった。かつて国家は王様のものだった。中国の古代でも「帝力いずくんぞ我にあらんや」と喝破した農民の話を古典に残している。民主主義は人々が国のことを自分のことと考えないかぎり成立しない。李登輝さんが「公」を持ち出す理由がそこにあった。国のかじ取りを担う政治家はもちろんのこと、政治家を選ぶ国民にも「公」が不可欠なはずである。「公」を一言で説明しろと言われてもなかなか難しい。だが、今の日本人でもなんとなく分かる概念ではないだろうか。新渡戸稲造は「義」と説明した武士道を李登輝さんは「公=ノーブレス・オブリージュ」と翻訳した。分かりやすい。ともにプロテスタントだった。