香港で起きる新聞の死 夜学会166

日時:8月14日(金)午後7時から

場所:はりまや橋商店街Water Base

8月10日、リンゴ日報の創業者、ジミー・ライ、民主派のアグネス・チョウら10人が香港国家安全法違反容疑で逮捕された。6月30日施行された同法は、当初は「抜かずの宝刀」ではないかと考えられていたが、そうではなかった。施行後たった40日で「過去に遡る容疑」で逮捕したのだから乱暴だ。どう考えても長年、英国法による犯罪取り締まりに親しんできた香港警察の手法ではない。北京からの直接采配があったに違いない。

僕がショックだったのは、民主派の逮捕ではない。新聞発行者として長年、中国を批判してきたジミー・ライを逮捕したことだった。

自由民権時代の新聞条例を思い出していた。明治時代の新聞はそもそも政府批判を名目に発行された経緯がある。この条例のため、各地の新聞は発行禁止処分に遭った。政府を批判する側もさるもので、多くの場合、題字を変更したり、発行者を差し替えたりして翌日から発行を継続した。香港の場合は違った。発禁を通り越して「創業者」を拘束した。大陸では新聞の検閲は当たり前のことだが、香港では返還後も検閲はなかったはずだ。その香港で検閲ではなく、逮捕に踏み切ったのはたぶん、香港に新聞条例がないからであろうと思う。

ジミー・ライは逮捕後、翌日に保釈されたが、免責になったわけではない。捜査は継続していて、いつでも「送致」「起訴」に持ち込むことが可能である。

明治15(1882)年、高知市で「新聞の葬式」があった。明治維新後、憲法制定や議会開設など国民の政治参加を求めた自由民権運動の中で、民権派の「高知新聞」が同年7月14日、政府から発行禁止処分の弾圧を受けた。既に5回の発行停止処分を受けていた。この発行禁止処分への抗議への意味を込めて行われたイベントだった。

ジミー・ライの逮捕はまさに「新聞の死」を意味している。テレビはすでに放送法によって香港政庁が介入することができるため、あからさまな政府批判はこれまでも少なかった。新聞の死の後、何が起きるか。たぶんネットの規制であろう。大陸ではFacebook、Twitter、Google、You Tubeはブロックされて「国内では使用ができない」。同じことが香港で起きるはずだ。改革派がデモや集会を呼び掛ける手段がなくなるとどうなるか! 香港が持つ唯一の強みは西側の常識が通用する空間だった点だ。香港には大陸の「本音」が漏れ伝わる独自の情報ルートがあった。西側にとって香港が重要だったのは、北京発の大本営発表に現れてこない情報を収集することだった。香港のメディアが大本営化したら、西側にとっても香港は不要な存在となろう。

伴武澄 について

新聞記者を定年退職後、高知市へ帰り、旧鏡村でシイタケとクレソンを栽培しながら、はりまや橋商店街で毎週金曜日に露天を商い、その夜に「夜学会」を開催するスーパーおじいさん。
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