3月6日(金)

テーマ:国とは何か2ーカリフォルニア国の場合

講師:伴武澄 時間:午後7時から

場所:WaterBase

石川好の「カリフォルニア・ストーリー」を読んでいたら非常に面白かった。

東部13州がイギリスを相手に戦っていたころ、大陸の西部ではスペイン勢がメキシコから北上して新たな新天地を築き始めていた。大陸の東西で同時に新しい国づくりが起きていたのである。サンディエゴ、ロサンジェルス、そしてサンフランシスコに入植地が形成されていたのである。イギリスも大陸西部を狙っていたが、13州との戦争に忙しかった。そんな時、ロシアもまたアラスカから南下してサンフランシスコに拠点を作っていたというから仰天だ。アメリカ大陸の東西で二つの歴史が進行していたと考えると面白い。

そもそもカリフォルニアとは、インドの西方にあるとされた伝説上の黄金郷の名前。そこはアマゾネソスのように女が支配する国ですべてのものが金でできていたという。ヌエバエスパニア(メキシコ)を支配していたスペイン人たちはメキシコから船に乗って探し求め、現在のカリフォルニア半島にたどりつき、その地こそがカリフォルニアだと命名したのが始まりだった。

それから100年、アメリカは奴隷州と自由州の対立が深まり、南北戦争へと発展する。メキシコは1820年に独立していて、カリフォルニア、オレゴン、テキサス、フロリダなどを領有していた。南北戦争の直前、アメリカはメキシコと戦争し、敗北したメキシコはカリフォルニアを金銭で売却し、1850年、カリフォルニアは31番目の州としてアメリカ合衆国に併合された。独立と同時にゴールド・ラッシュが起こり、世界中から一攫千金を狙って人々がカリフォルニアに殺到した。

カリフォルニアが「独立」するに当たり住民投票を行ったが、住民の関心は「独立」どころでなかった。憲法は東部の州の借り物で、たった10%の投票率で独立が「可決」されたというのだからひどいものだった。

中国人の移民が始まったのもこのころである。「独立」時、10万人足らずだったカリフォルニア人口に対して、82年までに37万人の中国人がやってきたというから凄まじい。金と大陸横断鉄道の労働力としてだ。 そんな時期(1860)に日本は開国し、咸臨丸をアメリカに送ったのである。同地へに日本人移民も始まり、10年後、日本にとって初めての在外公館として総領事館が創設されたのだから、日本もまたカリフォルニアに大きな関心を抱いていたに違いない。

住友銀行100年史を読むと、同行が最初に海外拠点を作ったのが、ハワイで次はサンフランシスコだった。日本人によるハワイ移民は1868年から始まっていたが、1900年代初頭にはハワイの人口の6割を日本人が占めていた。そしてハワイの移民たちは次々とカリフォルニアに渡り、大成功した。1920年のサンフランシスコの人口は45万人でそのうち7万人が日本人だった。ワシントン州のシアトルでも日本人の人口は10%を占めていたというからすさまじい勢いで日本人はカリフォルニアに殺到していたことになる。

「カリフォルニア・ストーリー」によると1920年にニューヨークからロサンジェルス駅に降り立った徳富蘆花は駅前に林立する漢字の看板に驚いたという。日本人と中国人の宿屋や店舗が並んでいてとてもアメリカの町には見えなかったそうだ。1924年にカリフォルニアで日本人排斥の法律が生まれた背景には、このまま放置すればカリフォルニアがアジア人に支配されてしまうという危機感があったはずだ。1900年の米西戦争で名を馳せた海軍のマハン提督は「日本人移民の流入を傍観するならば、10年もたたないうちにロッキー山脈以西の人口の大半が日本人によって占められ、同地域は日本化されてしまう・・・その権利を日本に認めるくらいなら明日にでも戦争をする方法を私は選ぶ」と語っている。

石川好氏は「歴史的に言っても、カリフォルニアは、スペイン、メキシコ、そしてロシアの国旗がひるがえった土地である。そればかりか、カリフォルニア自身が独立を画策し、カリフォルニア共和国の宣言をした土地でもある。カリフォルニアに限って言えば、まさしく異民族によって、一独立国誕生の危機が存在すると感じられたのだ」と書いている。