爽快さを感じるとき
仕事と遊び
世界各国で隊員諸君は、それぞれの感懐をもって新しい年を迎えられたことと思う。年改まった機会に、個々の諸君の顔を思い出しながら、年頭のご挨拶を申し述べたい。
今度の年末年始には、私にとって非常におもしろいテーマが頭に浮かんできている。それは「どうやら仕事と遊びは、同じことの見立て方の違いに過ぎないのではないか」ということである。早い話が歌を歌うということは仕事か遊びか、という設問をしてみるといい。これを○×試験に出すと仮定する。
正解がないとも言えるし、どちらに答えても正解だとも言える。理由は至極簡単であって、われわれには遊びだが島倉千代子には仕事だからである。島倉だって時には遊びで歌うこともあるかも知れない。野球と王、絵とピカソ、どれも同じである。
通常遊びであるものが仕事になるのと逆に、通常仕事であるものが遊びになる場合だってある。野菜づくりや家具づくりを趣味でやっている人はずいぶんいる。もう一歩突っ込んで考えてみよう。島倉だって初めは遊びで歌っていた歌を、ある時から飯の種にするようになったに違いない。それなら、初めは仕事のつもりでやっていたことをそっくり遊びに変えてしまってどこがおかしいのだ。
飯の種であるかないか、報酬をとるかどうかで仕事と遊びを分けるとすると、報酬をもらうのをやめなくては遊びにならないが、そんなことを言わないなら自分の気持の転換だけで仕事をそっくり遊びに変えることができる。遊んでいて収入はあるという状況が生まれるわけである(このあたりのことはボランティアの考え方をつめてゆくうえでかなり参考になる)。
こういうと諸君は何かゴマ化されているような気がするだろうが、そう思ったら何度でも今までのところを読み直して、反論を考えてみて欲しい。 仕事も遊びも、頭や体や心を使ってやることだという意味で、本来は同じである。そしてそのことを裏づけるものがいま一つある。それは、どちらも腰を入れてやり出すときつくなるということだ。山登りの好きな諸君ならロック・クライミングを思い出してみるといい。あんな苦しい、そして危ういことは仕事の中にもそうありはしないだろう。
山登りに限らず、上手になろうとすると遊びも仕事以上にきつくなる。逆に仕事にも楽なことはいくらでもある。仕事はきついもの、遊びは楽なものという色分けはだんだん怪しくなってくるのである。責任がある場合と責任のない場合は違う、という反論はあるだろう。そしてこの反論はなかなか手ごわい反論だが、責任が苦になるのは一般に地位が高くなった場合である。したがって、高い地位を望まなければそんなことに気をすり減らすほど責任の重みを感じないですむのではあるまいか。
上手になろうなどという野心を起こさなければ、おおかたの遊びが楽であるように。もっとも責任のあるなしは、報酬のあるなしと裏腹の関係があり、仕事と遊びを分ける大事な基準だとみるのもおもしろい。そうすると仕事も遊びも、ともに人間の頭や体や心を使う点では一同じだが、遊びのほうが若千気が楽ということになる(この点は時として隊員がボランティアだから責任が軽いという気持になることと一脈相通ずるところがある)。
発達と退化
仕事も遊びも、頭や体や心を使う。頭も体も心も使わないのは寝る時、休む時である。
人間は休養の必要なことは言うまでもなく、それによって力の回復が可能となるのだが、人間の能力、諸々の機能が発達するのは、仕事とか遊びの形でそれを使うことによる。生物学的にみて、人間の機能は使わないでおくと退化する。退化を防ぐため、現状を維持するためにも人間機能は使わなくてはならないが、それだけでなく、現状以上に機能を発達させようとすれば、その分だけ使い方を激しくしなくてはならない。
昭和五十一年の年頭に当って諸君に問いかけたいのはは、実はこの点なのだ。今の日本は高度成長時代が去ったとはいえ豊かな国である。一人当りのGNPは開発途上国に比して十倍も二十倍も大きい。しかし、平均でみた個人の能力は一人当りGNPで見るほど発達しているだろうか。
家の中の仕事が楽になった現代の主婦、頭や体や心をそれほど使わなくてもすむようになった現代の主婦が本当に明冶の女よりも優れていると言えるだろうか。同じ栄養のある食べ物を食べていると仮定して、冷暖房のある部屋に住んでいる人間の肉体的な抵抗力は、そんなもののない部屋に住んでいる人間より弱くなっているに決まっている。乗物が発達すれば足は弱くなるのである。道具や機械は人間の能力を補強する一方で、人間の能力を使わなくてすむようにし、その結果、人間の能力を退化させる一面を持っている。
人類の歴央は、人間の体力を弱めつつ、その知力を発達させた過程だと見ることができる。しかし、道具を使うにもかなりの体力が要るという状況であれば、道具の発明は今まで眠っていた体力や運動神経を開発、発達させることさえあるのだから、総体的にみて必ずしも体力の退化をもたらすとはいえない。体力と知力が相並んで発達する可能性があるのである。 文武両道といったのは、第一義的には武士に対する学問のすすめだったのだろうが、とりようによっては、知力、体力共存の必要性を洞察した文明史論的意見であるとも言える。
今日的な言い方をすれば、知育偏重の戒めになり得るし、体育の持つ意義を強調していることにもなる。こういういい言葉をどうしてわれわれはうとんじてきたのだろう。せっかく庶民の言葉にまて浸透していた英知の結晶的な言葉を無雑作に捨てかけていることは、敗戦の虚脱が遠因であろうが再考を要する。それと同時に、文明の利器が一つこの世に現われる度ごとに、われわれはそれによって生じた体力、知力の余裕をどういう形で健全に活用するかを考えてゆかなくてはならないと思うのである。
偉大なる職人
協力隊に来てから開発途上国のペースの問題に頭を突っ込むようになってきた私は、明治以降次第に科学発達のペースが速まっている現代を、それに先立つ江戸期二六○年と対比しながら考えるようになった。現代日本では、二、三年同じ配置にいるだけで、すぐマンネリ化するという愚痴が出る。地方にいる人は、時たま東京へ出て来ないと刺激を失うと言う。そんなことを言っていたら江戸期二六○年は一体どういうことになるのだろう。
陶工柿右衛門は、勿論他の陶工のやり具合も見たであろうけれども、苦節十七年の大部分は、自ら思いを凝らして一つの色を出すことに没頭したに違いない。今なお声値を失わない数多くの地方物産は、おそらくこのようなタイプの偉大なる職人がその生涯の心血を注いで仕上げたものに違いない。一つのことに没入した有名、無名の人々の生涯を想像していると、私は何か感に堪えないものを覚える。長谷川如是閑が、日本の華だと一言った職人気質とはこれなのか。現代でも各方面に柿右衛門的な人がいるには違いない。しかし、柿右衛門が柿右衛門たる所以は、なんの変哲もない時代にあれだけ自分の力を一つのことに集中し得たということにあるのではなかろうか。
そうした時代に、精魂を傾けて洗練された色や柄などを創り出していった心が素晴らしいと思うのである。そして、こういう求道心ともいうべきものが、日本の歴史の中で見直されなければならないと同時に、今の開発途上国にぜひとも気づいて貰いたい大切なことだろうと思うのである。日本のペースを押し売りにしてはいけないということは、多くの諸君が指摘している。それと同時に、そういう諸君が周りの人々に向上心のないことを残念がってもいる。
頭を使い、体を使うことを嫌がるといって慨嘆しているのである。そこで私が諸君に提言したいと思うのは、できるだけ人の話を聴いて、少しでも柿右衛門的傾向のある人間を探し出してみてはどうかということである。江戸時代のペースでゆけば周りの人々のペースを乱す心配はない。あとは柿右衛門的傾向を助長して、その集中力を高めることだ。万が一柿右衛門そっくりの人間がいたらこう言ってみるのもおもしろいだろう。「有色人種の国で日本が真っ先に先進国となった秘訣は、あの男のような人間が日本には昔から比較的多くいたからだ」と。そして「あれを見習え」ということを言い続けてみたらどうだろう。
おわりに
幸福とか生きがいとかについては訓練時代、私はかなり諸君と話しをしている。そこで冒頭から述べてきたことの締めくくりとして、私が訓練中に話してきた幸福についての考え方をもう一度ここで整理し直してみることにしよう。
またぞろ生物学的な言い方をするが、人間が爽快さを感じるのは、自分の持っている機能を巧みなリズムに乗せて使っているときであろう。欲求不満にもバテ気味にもならないで適度の繁張感のもとで人間機能が躍動している時である。休息が楽しいのも、右のような状態の中に間合いよく休息が織り込まれているときであろう。そしてところどころに全力投球部分を配しながら、節目、節目で人間成長-機能発達-の成果を確認できれば、爽快さは更に倍増する。幸福とはこのような爽快さのことではあるまいか。
確かに富を築き生活永準を上げてゆく過程も幸福に違いないが、物質的な幸福はある段階以上に自分を豊かにしようとすると、どこかで他人を搾取しなくてはならなくなる。人間成長の楽しみにはそのような行き詰まりはない。いつまでも追ってゆける爽快さ、幸福である。それどころか人間は成長すればするほど、その育った力で他人のためになることが多くできる。それが爽快さを倍増する。小我から大我の世界を目ざすことである。(青年海外協力隊事務局長、昭和51年、「JOCVニュース」掲載)