2月10日(金)の夜学会のテーマは「大谷光瑞と中央公論」です。いつものように午後7時からはりまや橋商店街、「メロデイー」で。

明治時代、浄土真宗西本願寺の法主となった若き光瑞が、弟子たちを西域の送り込み、タクラマカン砂漠の発掘に当たった話は有名であるが、キリスト教徒対抗するため、仏教徒も禁酒を断行せねばならぬと禁酒会をつくり、その機関紙「禁酒会雑誌」が東京で「中央公論」に発展したことはあまり知られていない。菊池寛の文藝春秋はまだない時代に、月刊総合誌を世に出したことは日本の論壇に取って重要な貢献となった。特に大正時代になって、大正デモクラシーの旗手となった吉野作造が世に出たのも中央公論あってのことだった。月刊「改造」は中央公論にならって、賀川豊彦という希有の社会運動家を見出したのはそのずっと後のことである。