11月2日、高知市内で世界連邦四国ブロック大会が開催され、4県から約80人が集まった。馬路村の上治堂司村長の講演がなかなか示唆に富むものだったので、その要約を掲載したい。
 今日は「村おこしと世界平和」と題が与えられたが、このタイトルは太すぎる。高知は話が太いところだが、半分にしても太すぎる。自分の村の地域づくりがうまくいったから世界平和に貢献できるんだったら、たぶん私もノーベル平和賞の候補ぐらいにはなれる。
 実は世界平和ではないが、1000人足らずの馬路村ではあるが、事業を進めていくうちに世界にはばたく、世界と話ができるようになった。チャンスを与えて くれたのは「IT技術」である。馬路村ではITなどは都会の言葉で、田舎にいたら関係ないとばかり思っていた。ところがそうではなかった。
 モノづくりはどこでもできる。問題はどうやって売っていくか分からないこと。ネットワークとの接点がないことが田舎の弱点だった。それがITによって多く の情報を世界に発信し、逆に取り寄せることができるようになった。それによって馬路村は、一次産業、二次産業、三次産業、そしてそれらを併せて六次産業を 築くことができた。ITがなかったら、村で生活しながらやっていくことは到底無理だったと思う。
 馬路村には国道がない。鉄道もない。信号機もない。コンビニもない。高校も学習塾もない。吉幾三の「おらこんな村いやだ」という歌があったが、馬路村のような小さな村でもやればできる、挑戦すれば道は開けることを示せたと思っている。
 先ほど四国の県民性について講談師が話していたが、県内でもいろいろある。馬路村に受け継がれたDNAは「負けたくない」「先にやりたい」「他より早くしよう」というものだ。これは非常に大切なことだと思う。
 平成の大合併がほぼ終わって、振り返ると村という名の付く自治体が激減していた。四国では香川県も愛媛県もゼロ。徳島県はたった一つ。高知県は馬路村を含 めて六つ残った。全国では183だ。この183が100を切ったら、「絶滅危惧種の一つ」として村という名の付くところに交付金をたくさんやれということ になるかもしれない。日本という国は村からスタートした国なので、国を守るために村を守らなければならない。そこまで頑張ろうよと半ば「洒落」気分で話し ている。
 馬路村はユズの加工品と木のバッグなど森の製品を中心に年間で34億円の売り上げを上げている。ユズが成功したのは、昔から無農薬だったからである。かつ てユズを皮付きで売ることができないかと農薬散布をすすめたこともあったが、当時は林業がまだ盛んで忙しすぎることを理由に農家が消毒を嫌がった。それが 安心・安全の時代になって逆に「付加価値」となったのだから馬路村には運があった。
 20年前、東京の百貨店でまるごと馬路村を紹介するイベントができないか交渉したとき、担当者から無理だと言われた企画書がたままた社長の目に触れること になり、復活し大成功となった。交流人口を増やすのが目的だった。イベントをきっかけに「特別村民」に登録した人が8300人にもなり、現在も村の応援団 となってくれている。特典は役場でユズジュース「ごっくん馬路村」を飲みながら村長と話ができるというものだった。不思議なことに高い飛行機代を使って 次々と特別村民がやってきた。
 地域づくりで大切なのは地域のブランド化である。地域がブランドになると働く人々の自信になり、元気につながる。昔、巨人・大鵬・卵焼きと言った。私は 「シャネル・ヴィトン・馬路村」と言っている。全国の人がどんなに思うか。小さくても輝くオンリーワンの村が高知県にあるにかわらん。信号機もないけど、 おしゃれな村にかわらん、と。そうなると不思議なもの。一回は行ってみたい村ということになる。