【賀川豊彦セレクションⅩ解説】キリスト山上の垂訓
はじめに 賀川豊彦セレクションをつくろうという議論が起きてから3年以上が経つ。当初は賀川豊彦ゆかりの東京、神戸、徳島など5つの賀川記念館を中心に編集委員会をつくり、議論を重ねたが、最終的に一般財団法人国際平和協会の仕事とさせてもらった。
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賀川には300冊前後の著作があるといわれる。2009年の賀川豊彦献身100年記念行事が行われ、ベストセラー『死線を越えて』など数冊の作品が復刻されたが、多くは絶版のままである。 毒舌で知られた評論家の大宅壮一は賀川について「明治以降の代表的日本人の名前を10人挙げるとすれば、当然、賀川豊彦の名が挙げられなければならない。労働運動、農民運動、生協運動、平和運動・・・・・・運動と名のつくもののほとんどが賀川にその端を発する」というようなことを書いている。 その賀川の作品がほとんど世の中に知られないままになっているという危機感からこの事業はスタートした。
できれば紙の本で出版できればとも議論したが、コストの面から、出版するなら電子本しかないと決まった。 電子本の編集は初版本の復刻を基本としたが、一部の作品を除いて現代仮名遣いに改めることとした。当時の時代背景もあり、賀川の作品には今から考えれば、随所に差別的表現が見受けられるが、すべてを書き改めては、作品の時代性が損なわれると考え、あえてそうした表現を残した。読者にはご理解をお願いしたい。
賀川豊彦セレクションを世に出すにあたり、神戸の賀川記念館ほか多くの関係者にお世話になった。紙面を借りて感謝の意を表したい。
賀川豊彦の300冊以上の著作の中からどれを選ぶかは大変な作業だった。当初は小説や評論ばかり読んでいたが、セレクションでは賀川の宗教書も不可欠と思い、最初に選んだのがこの『キリスト山上の垂訓』である。 読み進むうちにこれは宗教書ではないと気づいた。「幸いなる哉貧しき者」で始まる短い言葉は、賀川の解説によって、人生の深い意味が込められていることに気づくはずだ。僕は定年退職後、郷里の高知市に帰って母親の介護をしながら、繰り返しこの本を読んだ。母の介護によってすさんだ自分の心がどれほど癒やされたかしれない。
この本は賀川がヨーロッパ旅行の帰り道にエルサレムに足を運んだ後に書かれた。イエスの暮らしたガリラヤの風景が克明に記され、ありありと目に浮かぶのは賀川の実体験に基づくものだからだ。 賀川の著作が多くの人に読まれたのは、実はほとんどの作品が実体験に基づいているからである。賀川の実質的な処女作である『貧民心理の研究』は後に「差 別書」として糺弾された。賀川自身も「再版はしない」と約束した作品であるが、当時、大都市周辺にあまた存在していたスラムの実態を人々に知らしめるために欠かれたものであったはずである。
当時、当たり前だった優生思想についても、今読むと踏み込みすぎと思われる描写が多いが、賀川にとって、「小さき者」や「貧しき者」こそが真っ先に救済される人たちであった。イエスもまた同じ心境で「小さき者」や「貧しき者」に対応したものと信じられている。父なる神との心の対話の中に現れるイエスの教えこそ今、われわれが振り返らなければならないものが含まれている。
賀川の『山上の垂訓』が読まれなければならない意味合いはそんなところにあるのだと思っている。この本に出会ったことは僕にとって幸せなことだった。たぶん、これからの読者も共感してくれるものだと思う。 セレクションの最初の電子本の表紙装丁は初版のままとした。また、誤字脱字と思われる修正、送り仮名の統一の他は原文のままとし、宗教書であることからあえて旧仮名遣いを踏襲した。一部、今日的には社会的に不適切な表現もあるが、賀川が住んだスラムの当時の雰囲気を描写するには仕方がないと考え、そのままにした。ご理解をいただきたい。(2013年12月13日、伴武澄)