『雲水遍路』は賀川豊彦の単なる旅日記ではない。二度目のアメリカの旅は単なる感傷の旅ではなかった。求められるままにアメリカに台頭しつつあった東洋人に対する差別政策への批判の旅でもあった。

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 同時に同時代の日本人にどれほどの刺激を与えてくれたかしれない旅日記でもあった。
 一つは西洋人のコモンセンスであるキリスト教の世界が次から次へと描かれる。もう一つは戦間期の歴史への再認識である。ドイツとフランスが死闘の戦いを繰り広げ、数百万人の戦死者を出すという悲惨な戦争の結果、平和への希求が激しく求められた時代だった。にもかかわらず各国は軍拡に走り、第二次大戦を迎えるに至った。
 一方で社会主義国家ソビエト連邦が誕生し、ドイツで社会主義政権が誕生しそうになった。イギリスでは労働党が政権を取った。賀川の不満は、社会主義政権の誕生は資本主義社会を根本から改革する動きとはならなかったことだった。
 何が足らなかったのか。国際連盟で日本は人種差別の撤廃を求めたが、西洋社会は日本の主張を認めなかった。
 その結果、何が起きたか。アメリカでは日本人移民への拒絶など黄色人に対する差別が強まった。列強による経済的な中国分割の動きは強まり、日英同盟を破棄したイギリスはシンガポール基地の強化に走った。つまり黄色人としての日本の台頭に対して欧米は強い危機感を持ち、経済的軍事的に日本への対抗措置を強化していたのだった。
 賀川は、何回かの長期にわたる海外旅行のたびに自らの思想の集大成を行っている。『雲水遍路』はその第一回目である。旅の間、賀川の心に去来したのは世界経済の協同組合的運営だったに違いない。英国、フランス、ドイツなどで協同組合運動のあり方を精力的に取材したほか、デンマークではフォルクスコーレ(農村高等福音学校)が国家再建の大きな柱となっていることに並々ならぬ関心を示している。社会主義でも資本主義でもない。第三の道への模索が賀川の心の中で始まっていたはずだ。
 雲水遍路を読みながら、我々は忘れ去られたそんな大戦間の歴史を改めて思い起こさせるのである。
 また、後半部分では、待望のエルサレムの旅を実現している。賀川が聖書で繰り返し読んだ風景がそのままに描かれ、興味深い。編集子も繰り返し、この部分を読むことになるが、いつか『雲水遍路』をガイドにエルサレムの旅をしたいという気分にさせられた。
 アメリカやヨーロッパの記述もそうだが、『雲水遍路』をガイドにかの地を旅すれば、たくさんの発見があるような気がする。そういった意味で『雲水遍路』は歴史書であり、旅行ガイドでもあるが、賀川にとっては神への巡礼の旅であり、また、その後の賀川の世界的人脈を形成するきっかけをもたらした意義の多い旅でもあったに違いない。
 表紙装丁は初版の箱のデザインを踏襲し作成した。(2013年12月13日、伴武澄)