初代韓国統監を務めた伊藤博文を暗殺した安重根の記念館がハルピン駅に完成した。韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領が中国にこの記念館の設立を要請した時、菅義偉官房長官は「安重根は犯罪者だ」だと発言し、、韓国は「病的な歴史認識だ」と猛烈に反発した。
 先月、高知市の喫茶店でこの問題が話題になった。居合わせたある論客が面白いことを言った。
「菅さんはとんちがないねや、安重根は日本では犯罪人だが、僕が韓国人だったらやっぱり民族の英雄になるはずだ、ぐらいのことを言えば、韓国の人たちはぐうの音もでなくなる。振り上げた拳のやり場に困るはずだ」
 うーん。さずがは自由民権の発祥の地。考えることが違う。
 政治問答の要諦は実はそんなところにあるのかもしれない。今の安倍晋三政権だけでない。最近の日本の政治家は歴史観がない。相手が吠えれば、すぐにかみつくことしかしらない。だから、国と国の間も個人の喧嘩と同じになってしまっている。
 その最たる表現が「断固たる態度を取る」というものだ。国家間のいさかいにいちいち「断固たる態度」を取っていては、毎年のように戦争をしなければならなくなる。過去に日本の閣僚たちがアメリカの黒人に対して「侮蔑的、差別的発言」を繰り返した時期がある。
 そんな時、アメリカの閣僚たちがいちいち反応したであろうか。否、そんなことはなかった。売り言葉に買い言葉というのは政治的に最悪の対応である。
 そもそも植民地支配を受けた国々の民族主義者たちは独立を目指して武器を持って立ち上がったのである。明治日本でもロシア皇太子に切りつけた津田巡査に対する裁判で大審院の児島惟謙が「刑法に外国皇族に関する規定はない」として民間人と同様の刑法を適用して無期懲役としたことに、多くの日本人は拍手を送った。いまでも英断として教科書に書かれている。
 しかし、立場を逆にしてロシアの国民感情すれば、納得がいかなかったはずだ。皇太子に切りつけるなど不敬罪もはなはだしい、当時のロシアと日本の力関係からみても当然、死刑を要求してもおかしくない状況だった。 
 立場を逆にすれば、死刑囚が英雄になってとしてもおかしくない。インドのチャンドラ・ボースの軍隊インド国民軍は戦後、デリーの法廷で英国王に対する反逆 罪で裁判にかけられたが、ネルー等弁護団は「抑圧されるものは闘う権利がある」と国民軍兵士を英雄にまつりあげた。歴史にはそんな経緯もあるのだ。