12月14日の高知新聞「方丈の記 編集委員の回し書き」に「自滅する国会 葬式、出してみるか」という刺激的な長文コラムが掲載された。
 「国会の葬式」は高知県出身で元参院議員の平野貞夫氏が言いだしたことらしい。できれば、高知市の自由民権記念館でやりたいというのだから、かなり本気であろう。
 実現すれば、絶対におもしろいと思う。明治時代、高知新聞の前身の旧高知新聞が国会開設の必要性を説き、度々発禁処分となった腹いせに「新聞の葬式」を敢行したことに踏まえたものと思われるからである。
 http://www.47news.jp/topics/diary/2007/11/post_119.php
 http://tamutamu2011.kuronowish.com/shinnbunnnosousiki.htm
 日本の民主主義の発祥地である高知ならではの発想だからよけい面白い。

 高知新聞のネットでは掲載されていないが、高知新聞が読めない他の地域の人のために、あえて、全文を転載させてもらう。

 方丈の記 編集委員回し書き

 自滅する国会 葬式、出してみるか
 誰も覚えてはいないだろう。高知2区選出の中谷元衆院議員が、あの時どうして防衛庁長官を退かねばならなかったかを。
 防衛庁はとんでもないことをやっていた。情報公開請求者の氏名、職業、会社名などを調べ上げてリストを作り、庁内の情報通信網に載せて共有していた。個 人情報たらい回しの、市民敵視とも言える在り方だ。最初は個人の担当者レベルでやっていただけと説明したが、後になって組織ぐるみだったと認めている。
 この問題で野党が攻勢をかけ、ときの小泉政権が成立を期していた有事関連法案などの目算が立たなくなった。弱った小泉純一郎首相は、内閣改造で防衛庁長官の首をすげ替える。中谷長官は詰め腹を切らされたわけだ。
 官僚は組織防衛に走る。時には組織のトップである政治家のはしごも外して。退任時、正面玄関で見送られた中谷長官は「涙が止まらなかった」と当時の記事 にはある。無念をかみしめただろうに、時を置いて特定秘密保護法制定では、特別委員会の与党筆頭理事として先頭に立った。
 成立させたこの法は、秘密の指定も提供も結局は官僚の胸三寸という代物だ。権限は「行政機関の長」に委ねてある。官僚にしてみれば、政治化の「長」をたらし込むことくらい、わけないであろう。
 保護法で官僚組織には情報の独占的支配というビッグプレゼントが手渡された。元防衛庁長官はよほどのお人好しなのか、それとも米国の意に沿うことが最優先なのか。ちょっと測りかねる。
 特定秘密保護法には、行政府(内閣)が立法府(国会)をおとしめる要素が埋め込まれている。
 関係する部分は「特定秘密の提供」について規定した第三章(6~10条)。行政機関同士(6条)、警察庁と都道府県警(7条)、行政機関と民間事業者 (8条)、行政機関と外国政府・国際機関(9条)ときて、最後の10条でやっと国会が出てくる。それも「その他」の扱いで。
 しかも政府原案では、秘密は「提供できるものとする」、秘密の保護措置(漏えい防止策)は「政令で定める」と有無を言わさぬ仕様になっていた。
 ここまで国権の最高機関である国会がこけにされ、さらに行政の監視という議員活動そのものが懲役刑の対象になるような法など聞いたことがない。
 さすがにこれはよろしくないと衆院議長が渋面をしたらしい。秘密は「提供するものとする」、保護措置は「国会において…必要な措置を講ずる」と修正され た。が、国会が今後いくら形を整えようが、あくまで秘密の鍵は「行政機関の長」が握っている。その長さえ、警察庁などを除けば、せいぜい3年で交代する政治家だ。こんな仕組みで「政」が「官」をコントロールできるはずがない。官僚組織を甘くみてはいけない。
 そこのところの危機感が自民、公明の与党や賛成した議員からまったく見受けられないのはどうしたわけか。
 自民党内の人材払底、真正野党勢力の貧弱化…いろいろ思いつくが、国会議員の劣化。これが深刻だ。だから本当に危ない。官僚組織の思うつぼではないか。
 (あっ、そうか。政治家のレベルがこんな具合だから、ここでこんな法案を出してきたのか…)
「こんなひどい法を成立させるようなら、議会政治は自滅。葬式だよ」と法の成立前に憂えていたのは、本県選出の参院議員たった平野貞夫氏。長く衆院事務局 にて「憲政の常道」を知る根っからの議会人だが、自由党在籍時に公明党を「自自公」の枠組みで政権与党の座に引き入れた仕掛け人でもある。
 その贖罪意識でもあるのか、戦前の治安維持法を持ち出して今の公明党の変わりようを嘆く。
 《公明党の支持母体・創価学会の初代会長、牧口常三郎は治安維持法違反で捕され、獄中死している。2代目の戸田城聖も投獄されていた。なのに…》
 こんなことをあえて持ち出すのも、今の公明党が政権の魔力に魅入られた。”下の鼻緒”にしか映らないからだろう。
 「国会の自殺(行為)」
 特定秘密保護法を成立させた国会を指してこう評する向きが少なくない。平野氏は「違憲国会の葬式」を挙行したいと考えている。地元高知で、それもできれば自由民権記念館でやりたい、と。本気で。
 自由民権運動は1874(明治7)年、「板垣退助や後藤象二郎たちが民撰議院設立の建白書を提出したのが起点とされる。第1回帝国議会が開かれたのは16年後の90(同23)年11月。その間、民権派は薩長藩閥政府による激しい弾圧や懐柔と闘い続けた。
 それからこの国の議会政治は123年の時を刻んできたが、この間に国会は一度、大きく姿を変えた。昭和の戦時体制下。大半の政党が大政翼賛会に合流し、 衆院は8割超を大政翼賛会推薦議員が占めた。国会は軍事予算などを追認するだけ。ほとんど戦争遂行の補助協力機関と化した。抵抗を貫いた議員もいるにはい たが、立法府としては死んだも同然だった。
 ところが、今は戦時体制でもないのに、治安維持法まがいの法制度に国会が進んで手を貸している。世が世なら倒閣連動が広がり、こんな「違憲国会」は解散を迫られたに違いない。
 自由民権運動の理論的指導者たった中江兆民や植木枝盛たち。泉下にいる彼等デモクラシーの先人たちの悲憤慷慨はどれほどか、と想像してみる。あまりにシリアスな問題には滑稽の精神も要る。まずは「違憲国会」の葬式でも出してみるか。(須賀仁嗣)