龍谷大学教授 中野 有

 ワシントンやホノルル等のシンクタンクで北東アジアの平和構築の戦略研究を行ってきた。安全保障を軍事の視点のみならず社会的・経済的・歴史的要因も包括して総合的に考察し結果として理想論ではあるが平和構築に向けたビジョンを描くことができたと自負している。
 日本を離れ北東アジアの地政学的変化を多角的・重層的に探求してきた過程に於いて習得したことは事実(Fact)と真実(Truth)は展望する立ち位置や歴史的背景によって異なった見方も成立するという見解である。すなわち、異なった文化等に寛容であることが健全なナショナリズムを育む上で重要であるというシンプルな洞察であった。
 結論からいうと20年かけて習得したことを一つに集約すると「寛容な哲学」こそ平和構築の推進力となるということである。しかし、この見解の遥か先を照らすユニーバーサルな世の中のパラダイムをシフトさせるだけの説得力のあるスピーチに触れることができた。
 それは、通学のスクールバスにてタリバンによって銃で頭を撃たれたマララさん(16才のパキスタンの少女)が国連本部で行った素晴らしいスピーチである。国連事務総長をはじめ外交・安全保障の第一線で活躍する各国の代表や外交・安全保障の分野の戦略を練るシンカーを感服させた教育の本質に関するスピーチであった。
 国連の安全保障理事会や世界のブレーンがいくら会議を重ね戦略的に考察しても恒久的で明確な平和構築のビジョンが生み出されることがなかったのにタリバンに教育の機会を奪われたパキスタンの少女の堂々とした一度のスピーチが平和構築に関する潮流に変化を与えたように感ぜられる。
 世界は広くて多様である。まだまだ教育の機会に恵まれない人々がたくさんいる。経済的、宗教的、社会的要因によって教育から隔離されたすべての人々が教育の恩恵を受けることによって世界平和への礎が構築されると思う。
 アフリカで4年生活して教育に飢えている子供達の目線で教育とは何かを考え現地で悟ったのが「教育とは与えられるものでなく好奇心を持って自らの意思で取るべきものである」という見解であった。パキスタンの少女のスピーチが世界を踊らせたのは人類の目的にかなった理性を探求するという行為が抑圧の中から湧き出たからであろう。
 アフリカの奥地で生活する子供達が教科書も鉛筆もないのに現地語の他に英語を話している。一方、何年も英語を勉強しているのに一向に英語でコミュニケーションができない一般的な日本人がいる。この違いは明らかに勉強に対する意思や必要性にあるように思う。豊かな日本にとってアフリカの子供達のように教育に飢えることは無理であろうが、少なくとも教育に対する好奇心をたくましくすることが大切である。
 人間が先天的に備えている能力を引き出すことが教育の本質であると思う。そして何千年もかけて築き上げてきた人類の叡智を自らの意思によって学び取る。何のために勉強するのかを自ら問いかけることが重要であるのではないだろうか。
 教育というソフトパワーは軍事というハードパワーを凌駕する。世界中のすべての人々が教育の機会に恵まれたなら「協調の理想」が形成され平和構築に向けた大いなる勢力が生み出されると考えられる。人類の歴史、とりわけ近代史を紐解いてみても日本のみならず世界は軍事力で勢力を均衡するという考えから脱却し、「教育は近代兵器より強し」という哲学を実践する時が到来しているのではないだろうか。パキスタンの少女の教育こそ全てであるという訴えは事実と真実の本質を貫いていると感服させられる。