(1)で紹介した英BBCの電子版の記事の冒頭には、フランスの女性シャンソン歌手バルバラの「ゲッティンゲン」という曲のことが紹介されている。実はこの記事は、その1週間ほど前の2013年1月22日に掲載されたスティーヴン・エヴァンスの
《Goettingen: The song that made history》(ゲッティンゲン:歴史を作った歌)
http://www.bbc.co.uk/news/magazine-21126353
という記事のいわば続編なのだ。
 こちらの記事は、仏独協力条約(エリゼ条約)50周年を記念して、バルバラの曲が仏独和解に演じた役割を回顧する記事である。
 周知のように、仏独両国は歴史上、何度も干戈を交えた欧州大陸のライバル国家であった。とくに第二次世界大戦中のナチスの暴虐は、フランス国民に深い反独感情を植え付けた。
 しかしながら、欧州大陸の2大国民がいがみ合っていては、欧州に平和は生まれない。平和なくして戦禍からの復興もヨーロッパの繁栄もありえない。このような大局的視点から、当時のドゴール仏大統領とアデナウアー独首相は、1963年1月22日に仏独協力条約(エリゼ条約)を締結した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E7%8B%AC%E5%8D%94%E5%8A%9B%E6%9D%A1%E7%B4%84
 この条約によって、仏独青少年交流事業や仏独間の姉妹都市事業が盛んになり、草の根レベルでの仏独間の和解が進んだ。仏独の和解の上にEUが成立した。http://en.wikipedia.org/wiki/%C3%89lys%C3%A9e_Treaty
 エヴァンスの記事は、仏独和解で演じたバルバラの役割を顕彰している。
 バルバラ(芸名:本名は Monique Serf モニク・セルフ)は1930年にパリでユダヤ人を両親として生まれた(1997年没)。父親は独仏の間で何度も所属を変えたアルザス地方の出身だが、この地方には長いユダヤ人の歴史がある。母親は、やはりユダヤ人にとって重要な町オデッサ(現ウクライナ)の出身。ユダヤ人として、バルバラは戦時中、命からがらナチスの魔手から逃亡しなければならなかった。彼女が当初、ドイツとドイツ人に対していかなる感情をいだいていたかは言うまでもないだろう。
 1960年代初めからシャンソン歌手として有名になったバルバラは、1964年にドイツの小都市ゲッティンゲンに公演に招かれた。

ゲッティンゲン:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%B3
 内心では反発を感じつつも、彼女はこの招待を受けた。コンサートは大成功に終わった。彼女はゲッティンゲン市民の温かい歓迎に心を開くと同時に、この町に、彼女が幼い時から親しんでいたグリム童話のグリム兄弟の家があることを知った。彼女は予定よりも1週間長くその町に滞在し、その間に「ゲッティンゲン」という歌を作詞作曲した。
http://de.wikipedia.org/wiki/G%C3%B6ttingen_(Chanson)
YouTube http://www.youtube.com/watch?v=jkwaT2mLrtA (フランス語)

歌詞:
http://www.stadtarchiv.goettingen.de/personen/barbara_chanson_goettingen.htm

《そう そこにはセーヌ川もないし
 ヴァンセンヌの森もないわ
 でも 美しい所がたくさんあるのよ
 ゲッティンゲンには

 パリのように悲しげに歌われる川岸もなければ
 よく歌われる流行歌もないわ
 でも そこでも愛は花を咲かせるのよ
 ゲッティンゲンでは

 彼らの方がよく知っている そう思うのよ
 フランスの偉人たちのことを
 ヘルマン ペーター ヘルガ ハンスたちは
 ゲッティンゲンの

 〔……〕

 流血と憎しみの時代を
 二度と繰り返さないようにしましょう
 だって 私が愛する人たちが住んでいるのよ
 ゲッティンゲンには》

 ユダヤ系フランス人としてドイツ人を憎んで当然の立場にあったバルバラが、ドイツの町への愛を歌った。この歌がドイツ人を感激させたことは言うまでもない。そして、歌を通してフランス人の反独感情を和らげたのである。
 1967年のゲッティンゲンでのいわば里帰りコンサートでは、彼女はこの曲をドイツ語でも歌った。
YouTube http://www.youtube.com/watch?v=Z2TDacy7MIY
 そのコンサートに来ていたのが、当時ゲッティンゲン大学で学んでいて、のちにドイツの首相(1998-2005)になるゲアハルト・シュレーダーであった。
 シュレーダーは、2003年1月22日、ヴェルサイユ宮殿で開かれたエリゼ条約40周年の記念式典スピーチで、バルバラの歌詞を引用し、独仏の和解を讃えた。一つの歌が独仏の和解に貢献したのである。
 エリゼ条約を想起したばかりの独仏両国は、日本やイギリスとは違って、間近に迫っていたアメリカのイラク攻撃(2003年3月20日開戦)に、共同して反対の意を表明することになる。

中澤英雄のホームページ:http://nakazawahideo.web.fc2.com/