産経新聞が3月下旬に《全米チャート1位から50年「スキヤキ」再評価 「日本人は繊細な感情を表現できる》 という記事を掲載した。
《歌手の坂本九さんが歌った「上を向いて歩こう」が、1963年6月に「スキヤキ」というタイトルでビルボード誌の全米チャート1位を獲得して半世紀。英BBCの電子版に今年1月、「世界を変えた20曲」のリストが掲載され、「風に吹かれて」「イマジン」と並んで「スキヤキ」が選ばれた。記事の中で、ワシントンの投稿者は、63年当時の米国人にとって「スキヤキ」は「(戦争で敵対した)日本人が謎めいた民族ではなく、自分たちと同じく美しく繊細な感情を表現できる人たちと気付かせてくれた曲」と記した。》
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130326/ent13032617070010-n1.htm
 産経記事の元になった「英BBCの電子版」はこちらである。
《20 of your songs that changed the world》(あなたが選んだ世界を変えた20の歌)
http://www.bbc.co.uk/news/magazine-21143345
 これを読んでもらえばわかるが、BBC記事は、「歌は真に世界を変える助けになるか」という問いかけに対する読者の投稿をまとめたものである。ここで取り上げられた曲はいずれも、それぞれの時代で社会的、政治的なインパクトがあったと各投稿者が考える曲である。ジョーン・バエズの「ウィ・シャル・オーヴァーカム」やボブ・ディランの「風に吹かれて」のような有名な反戦フォークソングが入っているのは当然だろう。中には私がまったく知らなかった曲もいくつかある。
 「上を向いて歩こう」はビルボード誌のヒットチャートで週間ランキング1位になったことがある唯一の日本の歌謡曲である。アメリカ以外でもイギリスやその他のヨーロッパ諸国でもヒットした。欧米人が日本のポップスとして思い浮かべる曲としてはおそらく最も有名な曲であろう。
 この曲を推薦したアメリカ人投稿者は、1963年当時にこの曲を聴いたわけではない。「(戦争で敵対した)日本人が謎めいた民族ではなく、自分たちと同じく美しく繊細な感情を表現できる人たちと気付かせてくれた曲」という評は、彼よりも年上の世代の人々から聞いた評価である。
 この曲が世界的に流行した理由は、中村八大のメロディーと坂本九の歌声にあっただろう。日本語の歌詞そのものはそれほど大きな役割を果たしたとは思えない。何といっても、日本語歌詞を聴いても、欧米人はその意味を理解できたはずはないからだ。「スキヤキ」という、歌の内容とまったく無関係の題がつけられたことも、欧米人の歌詞への無理解さを示している。

 永六輔のオリジナルの歌詞はこうだ。

 《上を向いて歩こう
  涙がこぼれないように
  思い出す春の日 一人ぼっちの夜

  上を向いて歩こう
  にじんだ星をかぞえて
  思い出す夏の日 一人ぼっちの夜

  幸せは 雲の上に
  幸せは 空の上に

  上を向いて歩こう
  涙がこぼれないように
  泣きながら歩く 一人ぼっちの夜

  思い出す秋の日 一人ぼっちの夜

  悲しみは 星のかげに
  悲しみは 月のかげに

  上を向いて歩こう
  涙がこぼれないように
  泣きながら歩く 一人ぼっちの夜

  一人ぼっちの夜
  一人ぼっちの夜》

 現在では、この歌詞には永六輔の1960年反米・反安保闘争での挫折の気分が込められているということが知られているが、「涙」や「悲しみ」が政治的挫折に起因しているとは、ちょっと読んだだけではとても想像できない。

参考:上を向いて歩こう いかにしてできたか
http://nozawa22.cocolog-nifty.com/nozawa22/2011/07/nozawa22-9.html

 この歌詞は古典的日本文芸の常套句を踏まえている。「春」「夏」「秋」(なぜ「冬」がないのかは謎だが)、「日」「夜」「星」「雲」「空」「月」は、日本の詩歌で頻出する語である。そこに「涙」と「悲しみ」が加われば、日本ではこれはもう(失)恋の歌ということになる。
 ただし、これをそのまま英訳しても、アメリカ人には素直に受け入れられなかっただろう。ということで、英語歌詞はまったく別内容になっている。

《It’s all because of you, I’m feeling sad and blue
You went away, now my life is just a rainy day
And I love you so, how much you’ll never know
You’ve gone away and left me lonely

Untouchable memories, seem to keep haunting me
Of a love so true
That once turned all my gray skies blue
But you disappeared
Now my eyes are filled with tears
And I’m wishing you were here with me

Soaked with love, all my thoughts of you
Now that you’re gone
I just don’t know what to do

 (Chorus)
If only you were here
You’d wash away my tears
The sun would shine once again
You’d be mine all mine
But in reality, you and I will never be
‘Cause you took your love away from me

Girl, I don’t know what I did
To make you leave me
But what I do know
Is that since you’ve been gone
There’s such an emptiness inside
I’m wishing you’d come back to me

(repeat Chorus)

Oh, baby, you took your love away from me.》
http://www.justsomelyrics.com/1337370/kyu-sakamoto-sukiyaki-(english)-lyrics.html

(最初の部分の訳)
  僕がこんなに悲しく落ち込んでいるのは みんな君のせいなんだ
  君は去ってしまって 僕の人生はまったくの雨模様
  君にはわからないだろうが 僕は今でも君をとても愛している
  君は行ってしまった 僕をひとり置き去りにして

 歌詞すべてに私の下手な和訳を付けまでもなく、英語歌詞が日本語歌詞とはまったく別ものであることはよくおわかりいただけるであろう。アメリカ人の作詞だから、「自分たち(アメリカ人)と同じく美しく繊細な感情を表現できる」のは当たり前なのである。

 反米的気分から生まれた歌詞が、日本の古典的な失恋の歌になり、それが英訳によってアメリカ的な失恋の歌に変わり、日米友好に寄与する。一つの歌の不思議な転生の物語である。

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