イギリスのサッチャー元首相が亡くなった。イギリスを蘇生させ、ゴルバチョフに共産党を放棄させた女性である。ある意味で世界を変えた20世紀最大の政治家かもしれない。経済部記者だった僕は後になって、サッチャー改革の意味を知ることになった。
 サッチャーは1979年5月4日、イギリスの首相に就任した。議院内閣制でも日本と決定的に違うところは英国王が首相を指名するというところである。
『サッチャー回顧録』(日本経済新聞社)の冒頭に首相就任の風景が書かれている。
 1979年5月4日の総選挙の開票日、保守党勝利の選挙結果が入ると
「午後2時45分ごろ、バッキンガム宮殿から呼び出しの電話が保守党本部にかかってきた」
「女王からの組閣の命を受けるための拝謁だ」
「拝謁の後、私の新しい主席個人秘書官ケン・ストウが私をダウニング街まで連れていくべく待機していた」
「ケンはほんの1時間前、退任するジェームズ・キャラハンをバッキンガム宮殿に連れてきたばかりだった」
「夫と私は首相公用車でバッキンガム宮殿を後にした」
 そしてダウニング街10番地の首相官邸に入った。
 そしてサッチャー首相は就任のその日から何をなすべきか知っていた。英国の競争力回復のための論議は政権獲得をさかのぼる5年前から始まっていた。労組のと対決や国営企業の民営化、税制改革のスケジュールは出来上がっていた。そして満を持しての組閣が始まった。
 1970年代の英国に蔓延していたのは「栄光ある衰退」という一言に尽きる。「知識人も官僚もだれも英国経済を 復活させるのは不可能だと考えていた」。当時、サッチャー以外だれも英国の明るい将来を展望していなかった。
 サッチャー政権の改革は実に広範な分野におよんだ。国営事業はすべて民営化に成功し、公益事業も民営化を徹底させた。英国経済の衰退を加速させた労組とは徹底的に闘い、炭労の相次ぐストにもひるまなかった。サッチャーの強権ぶりに対して国民的支持があった。
 中曽根さんの民営化は国鉄と日本電信電話公社、日本専売公社の三つの国営企業にとどまり、JTなどはいまだ財務省が株を持っている。小泉さんは郵政と日本高速道路公団を株式会社化しただけに終わっている。サッチャーは鉄鋼、自動車、港湾、航空、通信、ガス、電力など政府保有の株式を100%民間に放出。ブリテッシュ・テレコムや英国航空などは世界有数の優良企業に変身した。
 サッチャーは「ゆりかごから墓場まで」という福祉制度にも大胆にメスを入れた。医療費は無料でなくなったし、年金も民間への移行を促し た。ファンドマネージャーによる年金運用が始まり、その投資収益によって、一時、引退後の年金生活者の方が現役で働く人々より生活水準が高いといわれるまでになった。
 イギリスの官僚のすごいところは、首相が代わると、その日から新しい首相の意に沿って政治が行われることである。サッチャーがダウニング街に入ってすぐさま大胆な民営化を行えたのは、官僚が首相官邸の指導に忠実に従ったからなのだ。
 それにひきかえ、日本の場合はそうは行かなかった。4年前に鳩山政権が誕生したとき、官僚は徹底的に抵抗した。もしくはサボタージュした。ひどい場合は情報を官邸に上げなかった。これでは政権交代の意味はまったくない。東日本大震災で福島原発がメルトダウンした時でも官僚機構は官邸に十分な情報を上げなかったことを忘れてはならない。
 サッチャーもすごい女だったが、それに忠実に従ったイギリスの官僚制度にもわれわれはもっと注目しなければならない。僕にとってサッチャーさんが教えてくれたものは大きい。