賀川豊彦の『雲水遍路』という1925年に書かれた旅行記を再編集しているが、オックスフォードのクライストチャーチ大学を訪問した時の一節に面白い発想があったので紹介したい。
「会堂の前は、長方形になっていて、法隆寺の境内のような趣きがある。つまり大学は法隆寺をそのまま大学に直したようなものである。そこで、私はすぐ考え たことである。もし日本で、大学の数が足らなければ、京都の大きな寺を凡て大学にして、そこで研究すれば善いのだ。寝泊りにも広いし、建築から受ける感化も大きいであろうと。然し、何故、日本の仏教の寺院が、直ちに大学になれない理由があるであろうか? そこが、私に投げつけられた一つの疑問であった。」
 なるほど京都の少なからぬ大学はお寺が作ったものだ。お寺を教室にすれば、絶対に面白い教育ができる。僕はかつて京都の町屋をそのまま大学の研究室にしたらいいと提案したことがある。雨や風の日には少々困るが、先生方の研究室が個性あるものに生まれ変わるだろうし、道そのものが大学の廊下と化して賑わいを増すことになるだろうと想像した。
 そんな研究室通りが誕生したら、周辺には学生向けの食堂や本屋、文具店などが多く生まれて町を形成できるのだと信じている。日本の中世の町は城を中心に計画的に建設された。ヨーロッパでは町に中心広場に教会と市場と役場がつくられたと聞いている。学校を中核に平成の日本の街づくりを考えたら面白い。
 日本に小学校が2万5000あるそうだ。郵便局の数と同じである。歩ける範囲で一つの教育圏、商業圏がすでにある。たぶん酒屋や米屋といったかつては許可制だった商店もそんな商業圏を考慮して配置されていたはずである。
 小中学校はたかだか1000人内外の規模であるが、その家族を含めるとその教育圏に住む住民は5000人とかになる。大学はもっと規模が大きくて万単位である。万単位で毎日生活が営まれる生活圏はもっともっとデザイン力をアップさせなければならない。