NHKの番組で首相の「不退転の決意」という表現についてある女優が「おかしい」と言っていた。本来「不退転の決意」というのは強者に立ち向かうときに使う言葉であって、弱者に向かって言う表現ではないと言うのである。なるほどと思った。
「命をかけて」も同じような表現かもしれない。家来が主君に向かって「命をかけて」といえば、それなりの決意として受け止められようが、主君が「命をかけて」という場合、自分の立場が危ういことを吐露しているようなもので、家来が先に斃れるのが必然となろう。
 一国の首相が、戦争でもする場合ならまだしも、増税という内政問題で命をかけられては国民はたまらない。
 同じような気分にさせられたのは、ブッシュ大統領がイラク侵攻作戦だった。表現は忘れたが、「正義は必ず勝利する」というようなことを言った。史上最強のアメリカ軍が制空権も制海権もないイラクに戦争を仕掛けて、イラクが勝つ見込みがあるはずがない。誰が考えても片手でひねり潰せると思うはずである。「正義」でなくとも勝利できる戦いだったのだ。
 野田首相のその「不退転」があやしくなってきた。不退転の決意で消費税増税ができなかったら、退陣するのが道理であろう。不退転の決意とはそれほどの重みをもつ表現であるはずなのに、国会での論戦では、成立の見込みがなくとも「投票」に持ち込むようなことを言っているのだから、何かおかしい。
 野田首相の最近の言動は「玉砕する」と言っているに等しいような気にさせられている。