日経新聞のスポーツ欄のコラム「チェンジアップ」で野球評論家の豊田泰光氏が「セパ交流戦」が新鮮みを欠いているので、韓国、台湾との交流戦をと提言している。プロ野球の世界から国境をなくすという意味に於いて非常に魅力的な提案だと思う。以下、日経サイトから転載させてもらう。
 http://www.nikkei.com/sports/column/page/p=9694E0EBE2E3E0E2E3E2E1EBE3E4

 8年目のセ・パ交流戦が始まった。目新しいカードの真剣勝負がみられるのが売りだけれども、12球団しかない日本では組み合わせも限られ、そろそろ飽きてきた。
 セ・リーグ球団の初優勝なるかが、今年の焦点だという。とはいえ、昨年優勝のソフトバンクからエース級2人を獲得した巨人あたりがもしも優勝したところで、それがどうした、だろう。
 昔は日本シリーズに出るしか、セ・パの真剣勝負の場はなかった。その舞台で西鉄ライオンズが強かったのも、巨人戦への飢えがあったからだ。
 当時交流戦があって、シーズン途中に対戦していたら、日本シリーズであそこまでの力が出たかどうか。
 交流戦導入以来、オールスターも盛りあがらなくなった。長嶋茂雄(巨人)と杉浦忠(南海)がプロ入りした1958年の球宴では、我々選手も、立大の同僚だった2人の対決を客の気分で見守った。
 注目の初対決は平和台での第1戦。「杉浦、三振取れよ」とパのベンチはけしかけた。
 ところがまじめな杉浦は硬くなった。初回、セの1番に入った長嶋に四球を与えて失点、二回は右前適時打。長嶋ってやつは――。ほかにもワクワクする対決があり、ベンチの中で「誰々まで打順を回せ」という声が出ていた。
 両軍ベンチが盛りあがるような対決も、PL学園の同級生、清原和博(西武)―桑田真澄(巨人)の対戦あたりまでか。
 1987年、舞台もぴったりの甲子園での初対決は清原が左翼へ2ランを放ち(その後二ゴロ)「巨人入り」を桑田にさらわれた無念を晴らした。プロ野球の名場面の一つだ。めったにない対戦だから記憶に残った。
 12球団制となって55年。球団数は増えもせず、減りもせずにきた。一般の業界からみると天然記念物的な、悪くいえば化石みたいな業界だ。そこに新風を入れた交流戦だが、もう4年に1度くらいでいいのではないか。
 韓国、台湾勢との対戦こそ「交流」の名にふさわしくないか。やるなら思い切ったことをしないと交流戦、球宴、日本シリーズのどれもが半端な行事になる。(野球評論家)