土佐山村の高川川のせせらぎでおにぎり飯をほおばり、車を南に転じた。カーブを曲がると前方の山の上になにやら近代的な建物の屋根がみえた。何だろうと思いつつもそのまま川沿いに旧役場のある集落まで戻った。
 そもそも行くあてのないドライブである。「土佐山夢産地パーク交流館 」という意味の分からないサインがあり思わずハンドルを右に切った。急坂をくねくね登っていくと左右にここらの山ではあまり見かけない草花が群生している。坂を登り切ると、平屋だが比較的新しい施設があり、川から見たその屋根がそこにあった。
 車を降りるとそこからひとりの男性が出てきて「こんにちわ」と挨拶した。迷ってここにたどり着いたことを話すとその施設を案内してくれた。旧土佐山村だった時代に財団法人夢産地とさやま開発公社が生まれ、寒蘭の栽培・販売をしていた。施設はいわゆる多目的ホールだった。音楽コンサートでも開けそうな施設であるが、いまは誰も使っていない。高知市内からたった20分のところにお宝が眠っていた。
 急坂の草花のことを聞いたら、五台山の牧野富太郎植物園を手掛けた山脇哲臣さんが自ら植栽した自然の植物園だったのである。6月になれば山あじさいがきれいですよと教えてくれた。これも大変なお宝である。
 看板の一つに「土佐山アカデミー」というのもあった。こちらの方は山里を復活させる目的で昨年立ち上がった学舎である。第一期生は全国から集まった。といっても10人といない。新聞やテレビで紹介されていて筆者も参加していみたいと渇望したが「年齢制限」があったため断念した。
 3カ月、山村に暮らしながらそこで生きるノウハウを一緒に考える場である。いまのところ山の産品は大したものではない。木材を中心に山菜など野菜類を高知市に出荷している。おもしろいところではショウガでジュースをつくっている。ジンジャーエルのようなものだ。
 筆者が考える土佐山はまず住む場である。高知市内までバスはないが車で20分。西武球団がキャンプを張っていた春野町と距離はあまり違わない。この時期、こぼれんばかりの太陽を受けて新緑が美しい。なるべく古い家を活用したい。フキやタケノコはいま旬で、5月になればアユ漁も解禁される。酒は東隣村の土佐酒造の桂月がうまい。
 頭をめぐらすと、随所に小水力発電ができそうな水に恵まれている。というより川沿いに村落が形成されているから当たり前の話である。小水力は村の産業として絶対に有望である。小耳に挟んだところでは、すでに高知の小水力発電協議会が候補地を物色しているらしい。
 いまはケーブルテレビはおろか光ファイバーもないから通信環境は劣悪だそうだが、今は電波をつかえばいい。WiFiの基地局を見晴らしのいい場所につくれば通信環境は劇的に改善する。情報産業にとって必要なのは通信環境だけである。
 残念なのは、村としての経営を抛棄して高知市と合併したことである。高知市としては土佐山の宝を「過疎地」としてしか評価していないのである。
 土佐山にはオーベルジュという憩いの宿泊施設がありけっこうな人気であるが、それ以外にレストランや喫茶店のたぐいは皆無。住むとなれば三食自炊となる。そういう環境に耐えられる人しか住むことは難しそうである。
 帰りがけに土佐山アカデミーの事務室に立ち寄った。塾長格の内野加奈子さんはハワイで海洋学を学んだ異色の人材。地元出身者を含めてなにやら楽しそうである。現在、7月からの塾生を公募している。林業は山で木を切るところから研修する予定でいるらしい。今度は年齢制限がないらしいから、応募してみようと考えている。山村生活を萬晩報で連載できたら楽しそうだ。