一年経っても放射能の恐怖は去っていない。やはり原発はいけないことなのだとずっと考えている。電力が足りないからといって原発を復活してはいけない。飢え死にするわけではない。足りなければ足りない生活をすればいい。原爆を二発も浴びて、原発事故に遭遇したのは日本人だけだ。
 福島ではいまも一般人が入れない警戒地域がある。政府も多くの国民もその地に再び人間が住めるとは思っていない。原発の問題は万が一にも起きてはいけないことが起きてしまったところにある。故高木仁三郎博士が「科学の原理と人間の原理-人間が天の火を盗んだ-その火の近くに生命はない」で書いている。
 地球は宇宙の星のくずから誕生したもので、もともと放射能の塊だったものが「四六億年かけて冷めてきて、ようやく人間や生き物が住めるくらいまで放射能が減ったもの」なのだそうだ。「せっかく地球上の自然の条件ができたところに、人間が天の炎、核というものを盗んできてわざわざもう一度放射能を作ったのが原子力なのだ」という。これまでの 反原発論者が語ってこなかった部分ではないかと思う。
 霞ヶ関は明日の電力需要のことにばかりに関心を寄せている。原発が安全だったら巨額の補助金や助成金が原発立地の自治体に流れるはずがない。国民一人ひとりに聞いてみるがよい。今日の電気とあなたの命とどちらが大切なのかと。
 寺田寅彦は「災害は忘れたことにやってくる」という名言を残した。自然災害は決して同じ形でやってくるわけではない。GPS測定によると日本列島はいたるところで伸びや縮みがみられるという。原発のメルトダウンは何も津浪だけによって起こるのではない。土地が隆起して格納容器がひっくり返ったら電気配線などはあっという間にちぎれる。そうなれば電力があっても何の意味をなさない。
 賀川豊彦は原子力の平和利用に関してかなり楽天的だったようだ、キューリー夫人も高木博士も初めは楽天的だった。人間の力を過信していたようだ。政府は南海トラフ、相模トラフなど近海で巨大な地震が起きる可能性にしきりに警鐘を鳴らしている。原発の再稼働に無関心でいていいはずがない。
 万が一、原発を再稼働するなら、電力会社の常勤役員が全員、原発の近くに居住することを条件とするえきだ。