日経新聞の私の履歴書、1月はイギリスのトニー・ブレアが書いている。楽しみに読んでいるがあと数日で終わる。イギリス人ではマーガレット・サッチャーがそのむかし書いているから、二人目だろう。
 1月11日のテーマは「官邸主導」。かつての保守党から政権を奪取したイギリスの労働党もまた、政権担当直後から官僚との関係が最大の課題となったらしい。3年前の日本の民主党と同じだった。徹底的に違うのは、労働党がうまく官僚をハンドリングしたのに対して、鳩山さんの民主党は「対峙」してしまったことだ。逆に3人目の野田さんはかつての自民党同様、官僚に完全に取り込まれてしまっている。
 どこからこの違いが始まるのだろうか。ヒントは11日の履歴書にあった。短い文章に多くのヒントがある。実際にうまくできるかどうかは、単に手法だけではない。信頼関係が最も重要なのである。ブレアの場合、最初の出会いがよかったようである。また、日本でも国家戦略局の役割の「法的根拠」が問題となり、機能不全となった。イギリスの官僚は対応が著しく違った。政治任用の新たな「公務員」に法的根拠がなくても「妥協」して、その指示に従ったというのだ。
 議会制民素主義は、すべて法律にのっとり行われるべきなのだが、法律策定に時間がかかり、間に合わない場合が少なくない。その重要性を斟酌できる官僚がいるかどうかで政権運営は大きく左右される。

 ではじっくりとトニー・ブレアの私の履歴書を読み直してほしい。

「それで、どうします?」。首相官邸に入った私に、ロビン・バトラー官房長官は、首相の椅子を指し示し、私が腰をおろすとこう続けた。「私達は労働党のマニフェスト(政権公約)をすっかり読みました。そしてあなたのためにマニフェストに沿って働く準備ができています。
 バトラーは経験豊富で、サッチャー首相とも仕事をしてきた。私は最初の瞬間から彼が専門家で助けになる人物であることがわかった。改革の中に納得のいかないものがあっても、推進に力を貸してくれた。彼は英官僚制度の最良の伝統を体言し、公平かつ知的で国に対して献身的だった。
 しかし、伝統を重んじることには強みとともに弱みもある。これは大部分の高級官僚に通じることだ。私は外交官出身のジョナサン・パウエルを主席補佐官として官邸スタッフのトップに据えたが、バトラーはそれを本当は認めたくないことがわかった。
 政治任用として特別顧問に任命した主席報道官アリスター・キャンベルも同様だ。英国は政府のトップレベルまでキャリア官僚が務め、特別顧問は珍しかった。政治任用が何千人もいる米国とは違う。私の政権では外部登用の顧問を70人にまで増やした。
 彼らは専門知識を持っており、官僚と交流して鍛えられればうまく活用できる。多くの官僚が顧問とうまく仕事をしただけではなく、真の友情も数多く生まれた。
 キャンベルやパウエルが官僚に指示を与える権限があるかどうかについて、バトラーとパウエルの間でひともんちゃくあったが、最終的には妥協した。
 ブレア政権は正式は閣議より限られた側近と執務室のソファで政策を決める「ソファ政治」だと批判されたが、それは大げさだった。
 国家を効率的に機能させる能力は、20世紀半ばに必要とされたものとは違う。それは実行とプロジェクト管理を扱う民間部門のものに似ている。近代政治のペースは速く、メディアも徹底追及するので、政策の意志決定、戦略の策定は圧倒的な速さで進めなければならない。
 官僚がつくった政策文書を、首相が議長を務める閣議で討議し決めるという従来の方法では、急速に変化する世界、政治環境に対応できない。
 官僚制度の問題は、物事を妨害することではなく惰性で続けることだ。官僚は既得権益に屈服し、現状維持化、物事を管理するのに一番安全な方法に逃げ込む傾向があった。
 官僚組織はうまく指揮すれば強力な機構になる。官僚達は知的で勤勉で公共への奉仕に献身している。ただ、大きな課題に対し小さな思考しかできず、組織が跳躍を求められるときに、少しずつしか動かなかった。
 ブレア政権は改革の多くを官邸主導で進めるため、政権の中枢部の機能を強化した。近代政治においては、何事もトップから動かさなければ大きな事は達成できない。各省は政府方針を知り何をすべきかがわかる。
 首相は大企業の最高経営責任者(CEO)や会長のようになった。政策方針を固め、それに役所が従っているかを見極める裏づけデータを入手し、結果を測定しなければならない。