伊勢神宮の不思議
伊勢神宮が現在の地に祀られたのは天武・持統天皇の時代とされる。天皇家のご先祖さまである天照大神を祭神とする内宮と豊受大神を祀る外宮に分かれ、二つの正宮を持つ不思議な神社である。天皇支配の時代に立てられた皇祖を祀るための神社で、豊受大神と並んで崇拝されてきたことが興味深い。
両正宮には天皇、皇后、皇太子以外の奉幣は許されていないから、ご神体を拝むなどということはありえない。神秘の世界である。もちろん衛視が目を光らせていて写真撮影などはご法度である。
正式な参拝は外宮を先に参って、後に内宮を参るというのもおもしろい。地理的にいって、奈良や京都の都からやってくると、宮川を渡って神域に入るため、北側にある外宮が先だといわれれば納得できないこともない。しかし、それでは皇祖がないがしろにされているような気になって仕方がない。
そもそも分からないのは、皇祖を祀る伊勢神宮が伊勢国度会郡に存在することである。都から遠隔地であっても天孫降臨の地にあるのだったらまだ理解できるが、奈良の明日香から山を越えたはるか東方に位置するのだから、説明不能である。
それにしても歴代天皇が伊勢神宮を参拝した記録はなく、明治天皇が江戸への行幸の際に参られたのが、最初だというから不思議だ。平安末期には熊野信仰が盛んとなり、後白河上皇は34回も熊野詣でをされている。天皇であっても行幸は一般的だったから、皇祖参拝があってもおかしくない。
歴代の天皇は皇祖を祀るために、皇女を斎宮(さいくう)として伊勢の地に派遣した。この制度は平安時代になっても続いた。斎宮は実は京都の上賀茂神社にも送り込んでいたから、賀茂はまた別格の待遇だったといえよう。斎宮は神に仕えることから穢れと仏教用語を忌み詞として禁じていた。
また伊勢神宮は二つの正宮にそれぞれある別宮、末社摂社を含めると計125の社があり、その範囲は4市2町にまたがる。その一帯は神領とされ、律令制度の国衙の管理下にはなかった。単なる一神社ではなく、イタリアのバチカン公国のような存在ともいえるかもしれない。
神さまの社を一般的に神社という。日本最古の神社は奈良の大神(おおみわ)神社とされるから、伊勢神宮はそれより相当に新しい。にもかかわらず神宮といえば伊勢神宮のことだった。いまでもし正式名称は宗教法人神宮である。
神社にも格がある。江戸時代まで、神宮といえば「お伊勢さん」のことで、そのほかに神宮を名乗ったのは熱田、鹿島、香取の三神宮、大社は出雲と熊野のみだったそうだ。神宮が神社の上にあり、大社は別格ではないかと考えている。