関東大震災が起きた9月1日を控えて賀川豊彦が同震災で活躍したことを見直す報道が相次いでいる。日本生協連合会の渉外広報や賀川豊彦記念松沢資料館、 そして鳴門市賀川豊彦記念館へメディアの取材がきているという。共同通信が26日配信し、地方紙各紙に掲載されて記事を転載する。関東大震災が起きた9月1日を控えて賀川豊彦が同震災で活躍したことを見直す報道が相次いでいる。日本生協連合会の渉外広報や賀川豊彦記念松沢資料館、 そして鳴門市賀川豊彦記念館へメディアの取材がきているという。共同通信が配信した記事を転載する。

賀川豊彦が関東大震災の惨状を見て救援の意思を表明した詩の掛け軸=東京都の賀川豊彦記念・松沢資料館

 徳島ゆかりの社会運動家・賀川豊彦件(1888~1960年)が、関東大震災の復興支援に当たる決意を表明した詩の掛け軸が27日までに見つかった。賀川豊彦記念・松沢資料館(東京都世田谷区、加山久夫館長)が確認した。全集などにも収録されておらず、賀川の受けた衝撃と、救援への使命感を物語る貴重な資料 だ。
 掛け軸は「血がこみあげてくる、永遠に若いおまへの血が、おまへの血は私の血だ、おまへは死んだ、そして私等は甦らされた、誠におまへの途は尊い途で 有った 私ハおまへの為めに六千度の太陽の熱を受ける」という詩に、「一九二三年九月 賀川豊彦」の日付と署名がある。
 同館によると、3月に古書店から購入し調べていた。押された落款は賀川が当時、活動拠点だった神戸で使っていた印であることが分かった。賀川の揮毫(き ごう)は勢いのある崩し字が多いが、この書では楷書体。目の病気にかかっていた賀川が、ていねいに書いたか、妻のハルなど身近な人が代筆したと同館は見て いる。
 詩の「おまへ」は、目上の人を呼ぶ尊敬表現で、牧師の賀川がキリストによる罪のあがないと復活に重ねて、東京や日本を指したとみられる。
 賀川は23(大正12)年9月1日に起きた関東大震災の翌日、材木などを船に積み神戸を出港。東京に入り、被災状況やニーズを調べ数日後、神戸に戻っ た。その後、約1カ月間、西日本各地で義援金を集めるため講演。10月から東京・本所で、炊き出し、布団や衣服の配給、入浴サービスなどを始めた。被災者 の自立支援のために立ち上げた事業が現在、信用組合、病院、社会福祉法人などに発展している。
 掛け軸は10月31日まで、同館の特別展で展示されている。
 鳴門市賀川豊彦記念館の田辺健二館長は「関東大震災でいち早く被災地に駆け付け、精力的に救援活動を行った賀川の思いが読み取れる。困難から逃げずに真正面から立ち向 かうプラス思考の考え方だ。東日本大震災が発生したこの時期に発見された意義は大きい。震災復興への励ましのメッセージになる」と話している。