甦る屈原と端午の節句
2010年07月03日(土)高知工科大学国際交流事務室長 伴 美喜子
6月15日より18日まで、学長に随行して中国ハルビンを訪れた。今年、ハルビンは異常気象で、大変暑かった。3日の間にハルビン工業大学、ハルビン工程大学、ハルビン師範大学、黒龍江大学の4大学を訪問し、実り多い出張だったが、本稿では公式日程の合い間に体験した、個人的な「発見」についてご紹介したい。
中国では、6月16日(旧暦5月5日)は端午節で、祝日である。私たちは前日の15日夕方に到着し、夕食後ロシア風の町並みが残る松花江ほとりの「中央大街」の散策を試みたのだが、町は車や人で溢れ、交通渋滞で帰れなくなることを恐れてホテルに引き返した。
案内をしてくれた黒龍江大学の王君林さんに寄れば、この人たちは皆、朝まで外で過ごし、早朝に「艾蒿」(ヨモギ)を摘んで(または買って)、家の門に飾り、その年の健康を祝うのだそうだ。棗入りの「粽子」(ちまき)を食べることも大切な習慣だという。
端午節は戦国時代(約2300年前)の「楚」の国王の側近であり、有名な詩人でもあった屈原が国を憂いて汨羅の川に身を投じた日だとされる。屈原の遺体が魚に食べられないように、彼を慕う民衆が川に「ちまき」を撒いたのだという。
驚いたのは、この昔から伝わる「端午節」が、昨年から国の祝日になったということだ。伝統文化を若者に伝えるための国の政策だと王さんはいう。昔から祝日だった「春節」に加え, 「清明節」、「中秋節」も休日となったそうだ。
旧暦なので、端午節の日は毎年変わるが、面白いのは中国での連休の組み方だ。今年の端午節の例で言えば、土、日に出勤して、代わりに月、火を休日とし、水(16日)の祝日に繋げて3連休としている。なるほど、と感心した。同じ連休でも、祝日そのものをご都合主義で変える日本とは「精神」が違う。
翌朝7時から、投宿したシャングリラホテルの眼下の松花江で「龍舟比賽」(ドラゴン・ボートレース)があると聞いたので、早起きして行ってみた。屈原を慕う人々が多くの舟を出して遺体を探したという伝えが龍舟比賽の由来だとされる。
ゆったりと流れる松花江の広々とした川岸を老若男女が手に手にヨモギを持って、楽しそうに散策している。草束の中に菖蒲が混じっていることもあった。(菖蒲湯の習慣はないそうだ。)国中が旧暦の伝統を楽しむ長閑で美しい風景に出会えた僥倖に感謝した。
実は、端午節の祝日に、私たちは二つの大学の学長を表敬訪問したのであった。中国では面会の時の贈物交換が大変重要なセレモニーなのだが、私たちが準備したお土産は偶然にも特注した郷土高知県土佐山田製のフラフだった。原色の鮮やかな大きな布をパッと広げた時のざわめき、由来を解説した時の皆の頷き、日本と中国だからこそ共有出来る交流の楽しさを感じた一場面であった。
以前に多民族国家マレーシアに10年滞在した頃から、私は暦に興味を持つようになった。日本以外のほとんど(もしかしたらすべて?)のアジアの国々では、今も旧暦を併用し、伝統的な祝日は必ず旧暦で祝っている。 日本では1872年に新暦が導入され、伝統的な祝日は新暦に移して固定されてしまった。
七夕が近い。これも元々中国から伝わった文化である。7月7日(新暦)、8月16日(旧暦7月7日)、それとも8月7日(月遅れ)に祝いますか。自然を重んじる日本伝統文化を継承していく上で、大切な問いかけだと思っている。
民族の暦は文化の核であり、祝日の一覧を見ればその国の文化のあり方が見えてくる。